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ザウェイブ
カシオペア文書によれば、これは宇宙の周期的な出来事であり、近い将来、地球とその周辺に起こる予定だという。
これは多くの資料において、第4密度への移行、時代の変化、収穫など、さまざまな言葉で呼ばれているものだ。
※mixiコミュニティ:SOTA●JAPAN
えっ、ナニコレ?
カシオペアンと全然関係ないよね?
21世紀初頭に宇宙的な出来事が起こるという考え方は、19世紀後半以降、ますます一般に浸透してきた。
例えば、グルジェフは、地球上で行われる、ある準備のために割り当てられた時間について語る際、そのようなことについてベールに包まれた言及をしている。
神智学者やルドルフ・シュタイナーも、そのようなことに言及している。
1980年代前半の『ラー文書「一なるものの法則」』では、そのような出来事についてより詳細に語られており、「地球の第4密度への移行」という考え方が紹介されている。
それ以外にも、多くの多くのニューエイジチャネリングが「ネガティブな地球とポジティブな地球にこれから分かれる」というよく分からんことを言い出した
そのカシオペアンのバージョンが「The Wave」である、と見ておけばいいだろう
1994年以降のカシオペア文書では、ラーが残したテーマを取り上げ、その移行についてより具体的に論じている。
QFS/FOTCMは、ザウェイブを有力な作業仮説として捉えているが、その概念の有効性を確信し、あるいは正式な定義を把握していると主張しているわけではない。
もう作業仮説なんてものではなく、絶対的な真実みたいな扱いだが
ていうか、そもそもこれがカシオペアン説の最大の焦点である
QFS/FOTCMによる、このコンセプトの解釈は、以下のようにまとめられる:
宇宙にはさまざまな存在のレベルがあり、それぞれのレベルに適した実体が住んでいる。
その中には、現在人類が住んでいるような、物質的なレベルもある。
自然のプロセスにより、これらレベル間のベールは周期的に薄くなったり破れたりし、ある種の交差点や導管が形成される。
これは、通常は封印されている多くの存在のレベルが重ね合わさるようなものだ。
自然のプロセスとは別に、技術や超能力を使ってレベル間を行き来する実体もいる。
UFO現象はその一例である。
このようなレベルを、カシオペアンやラーは密度と呼ぶ。
また、第4の道の文献では宇宙と呼ばれるなど、他のソースでは別の名称も使われている。
ある実体にとって、どの密度レベルが自然であるかは、その実体の意識の発達度合いによって決まる。
ある種のエソテリックな発達を遂げた人は、空間、時間、物質性の知覚が根本的に異なる、第4密度に住まうのに必要な存在レベルに近づいていく。
ザウェイブの自然的環境、すなわち、密度レベル間の自然なギャップが狭まることで、準備のできた者に通過の可能性を提供するのである。
それゆえ、「卒業」あるいは「アセンション」という言葉が使われるのだ。
他者への奉仕(STO)か自己への奉仕(STS)のいずれかを極めることが、通常、合格の中心的条件とされている。
これは第4の道の教えと結びついている。すなわち、このような二極化が意味を成すには、人は単一の明確な存在になっていなければならない、ということである。
かくして第4の道では、密度間の移行を橋渡しするのに十分なほど強固で一貫性のある自己を創り上げるのは自己へのワークが不可欠だとする。
「第4の道」をやたらに強調するのは、結局失敗であっただろう
というのも、グルジェフの説は、そもそも人間は皆機械として生まれるので、ワークをして「強固で一貫性のある自己」、ケスジャン体を作りあげよう、というものであった(だから、グルジェフ説ではそもそも輪廻転生はない!)
機械としての人間は死後40日くらいで消滅するが、ケスジャン体があれば死後40日以降も生きられる、という
これがグルジェフのワークの最終目標であった
これは、第四密度とかSTS/STOとかいう説とそんなに親和的であるとは思わない
「知識へのステップ」の中にまるでグルジェフワークのようなものがあるが、かなり部分的である
カシオペアンチームが「第4の道」を強調するのも、その程度で済ませておくべきだったのではないか、という気がする
ザウェイブは乱流地点だと考えられている。
ザウェイブの到着は、社会および自然の両面における、さまざまな災厄/大変動と重なると考えられている。
ザウェイブは、瀑布に喩えられてきた。
川は間際まで穏やかに流れているのだが、
やがて奔流となって滝壺へと急降下し、再び比較的安定した川床に落ち着くのだ。
泳いでいる人は川から逃げることはできないが、急降下の底にある岩に気づけば、避けようとコースを調整することができるだろう。
また、相変化、すなわち蒸発の可能性は、滝壺の周りの水煙の中ほど高くなるのだ。
固体から液体、気体へと変化する相変化は、密度シフトの喩えとして用いられてきた。
わずかなエネルギーの増分が、物質とその性質に質的な変化をもたらすのである。
滝壺の喩えからして、急降下を生き残るには、身体がしっかりしていなければならないことに注意したい。
これを、集団に、そしてまた、個々人が持つ「小さな<私>」(ウスペンスキー『奇蹟を求めて』浅井訳103ページ)に当てはめれば、メンバー/各部が結束し、共通の目的に向かって協同していなければならないことを意味する。
この当てはめが恣意的であり、的外れかもよ
QFS/FOTCMでは、グループの場合、これを「共直線性」という言葉で表現する。
「共直線性」は、カシオペアンチームがモントーク及び当時のメンバーを追放する際のスローガンだったようである
「メンバー/各部が結束し、共通の目的に向かって協同していなければならない」というのは抽象的には趣旨としては正しいのかもしれないが、実際の運用となると、特定の誰かがそれを恣意的に判断することになり独裁的になりそうだ
個人について語る場合、この言葉は融合、すなわち真の<私>を形成することである。(ムラヴィエフ『グノーシスI』図1-3)
この資質がないと、人は乱流に引き裂かれ、元々誰だったのか、正体さえ分からなくなる可能性が高い。
私としては、レオ・ネットワーク説をとって、カルマの再生スピードが速まるので、カルマの消化スピードがそれに追いつかないと乱流に引き裂かれることになる、とでも言っておこうか
QFS/FOTCMは、滝壺に相当する一触即発の状況においては、プロセスに貢献する参加者の観察の質が、結果を大きく変える可能性があると唱えたい。
その結果は、例えば、密度間の移動を伴うだろう。
もう1つの例としては、量子物理学における「多世界解釈」のように、タイムラインが分裂するということもあり得よう。
したがって、ある存在様式を受け入れる人は、最終的に、他の人々とは文字通り異なる現実(リアリティ)に行き着く可能性があるのだ。
このプロセスは厳密には物質的なものでないが、物質的なカオスはより広いプロセスを反映するのだろう。
このプロセスは、意識による観察によって決定されるマクロ宇宙における量子飛躍(クオンタム・ジャンプ)と見なされる。
量子系を強いて1つの状態にするために観測事象が必要なように、「ザウェイブ」の内部における事象を誘導するためには観測が必要なのだ。
QFS/FOTCMおよび第4の道のワークが、客観性や理解の明確さ、真の<私>を鍛え上げるワークを重視するのはこうした理由からである。
多分、ズレてるんだろうね
カシオペアンチームの言う「真の<私>」というのは、確かにグルジェフの言うような「強固で一貫性のある自己」のことであろう
しかし、この「真の<私>」というのは、所謂ハイヤーセルフとは違ったものである、というのがポイントであり、面白い所かな
一般のハイヤーセルフ説では、ハイヤーセルフはワークで練り上げるまでもなくもうすでに存在している
この場合、ワーク(人類同盟)は、エゴの騒がしい声を鎮めることによって、ハイヤーセルフの囁きを聞き取るためのものになる
悪魔は細部に宿るというが(もし悪宇宙人がカシオペアンチームの研究方向を攻撃してずらしたのであれば)、この微妙さに、ちょっと感心するね
十分な純度のSTS/STOへの極性化を遂げるには、世界に関する知識と長期に亘って曖昧さのないワークを成し遂げる能力なしには不可能である。
これも少々ズレてると私は思うが
さらに、観察に必要な視野と一貫性を得るには、グループへの参加が必要である。
ザウェイブの到着までに、意識のSTO指向性を臨界点まで持って行くことができなければ、
地球全体が現在のSTS指向のコントロールシステムの手に残り、
第3密度と第4密度のグループが分裂し、
歴史を通じて行われてきたように、後者が前者を食い物にすることになるのだろう。
第四密度STSが第三密度STSを食い物にする
これは、人類の誕生から現在までの地球史を、次のザウェイブの周期が来るまでの間、再演することに他ならない。
カシオペアンによればその周期は約30万9000年である。
初めに約30万と言ったのは、バーバラ・マーシニアックのプレアディアン