アラフォー賢者の気ままな引き寄せライフ~第四密度行ったら本気だす~

気ままにスピ雑談、多少は人が見て勉強になりそうなことを書いていく

LIFE IS RELIGIONその五

ソーシャル・ネットワーキング サービス [mixi(ミクシィ)]

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http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=30516615&comm_id=2590126 
Q: (L) 例えば誰かがロトくじを当てたいという場合、どういうのが正しいアプローチなの?何をすべき、あるいはどのようであるべき、何を考えるべき、何を言うべきなの?

A: 完全に純粋な意図。すなわち、見通しを立てない、予期しないこと。

Q: (L) 予期することで創造性のチャネルが制限されるの?

A: Yes.

Q: (L) 言ってみれば、当ろうが当たるまいが、全く無頓着でいなければならないのね?

A: 楽天的な態度が役立つ。

Q: (L) それじゃあ、心配したり、緊張したり、予期したり、考えにこだわったりすると、流れが制限されるのね?

A: Yes.

お気付きだろうが、純粋な意図は予期や願望とは異なるとされている。語の成り立ち自体が手掛かりになろう。

Anticipate(予期する): ante - before(前に) + capare - to take(取る)
期待する;予期する;早く起こるよう急かす;予見し、予め行う、等々。

予期の場合、時間とのつながりが明らかに見て取れる。

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Intent(意図): しっかり方向を決め、あるいは定める;心や注意の方向をしっかりと決め、あるいは定める;熱中する;強く決心する;目的あるいは対象;行為を行う時点での意志や決定。
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微妙な違いが分かっただろうか?幾分意味論的ではあるにせよ、私達の創造的な潜在能力をどう扱えばいいか考えるには十分だろう。

もちろん、<期待したり、願ったりしないで>全く純粋に意図せよ、というのがかなり無理な注文なのは明らかである。大事なのは、今、意図を持って行動することであり、将来のことを想像/予期しないことである。目標に向けて行動しようと意志を働かせるときには、左脳が意識的な準備や計画を行う必要はあるものの、現在の状況に直に対処する右脳の高められた認識によって、人生を変える創造的な潜在性が開くことだろう。

大事なのは、「今、意図を持って行動すること」ではないのだが、それは前に書いたので繰り返さない

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Q: (L) Okay, さっき話してた意図のことなんだけど、もちろん私達が意図を持って経験してきたのは、かなり驚くべき事だったわ。繰り返し強めるとき、意図は本当に力となるという風に考えるようになったもの。これは正しい考え方かしら?あなた方、何か付け加えることがあるかしら?

A: それも予期によって全体像が曇らないうちのことだ。。。微妙だろう?

Q: (L) 予期して思い込むと何が起こることになるの?

A: 次に起こるのは現実化だが、一般的に第3密度ではあなた方にとって不幸な結果となる。お分かりの通り、予期が関与してくるや、意図はもはやSTO的ではあり得ない。

Q: (L) 予期とは自分のために何かを願うということなのね?

A: Yes.

Q: (L) Okay, 何かを意図したり、意図的に考えたり、意図的に希望するのはOkayなのね。何かの役に立つ別の。。。

A: それが現実化する。だが、現実化は予期を生む。

Q: (L) このカミソリの刃をどうやって渡って行けばいいの?つまり、これってカミソリの刃の上を歩いてるみたいじゃないの。予期しないように気持ちをコントロールして、なおかつ、現実化にはうまく対処し、それでも希望を忘れない。。。

A: 偏見なき純粋な信仰とバランスを取りつつ予期を否定する、という心のエクササイズだ。

引き寄せとはこの心のエクササイズだ、と言っても間違いではない

Q: (L) Okay, それじゃあつまり、その時々の状況を受け入れ、その時々の状況はありのままに認識しつつ、宇宙や物事は、起こるべき様に起こると信じて、それがどのようになのかは予期しないようにしながら、ワークを続けるのね?

A: Yes.

Q: (L) 未来を形作ることについては、私達、沢山の概念を議論したのよ。議論の中では、何か良い事を形作る意図的な行為みたいなことを仮定したんだけど、測定すべき時期については定義しなかったわ。つまり、意図によってエネルギーを加えるんだけど、いつ、どこで、どのように測定すべきなのかは未定なの。クォンタム・ジャンプみたいなものよ:統計的には起こり得るけど、確定はできない。だから予期することは不可能なんだけど観察される。だから、ひとりでにそれの流儀でもって起こるときにはそれと分かるのよ。

A: Yes. 予期しないようにすることだ。それが未来を形作るカギだ。。。そうだと思ったときには、止まってしまう。

Q: (L) そうだと思ったとき?それが起こりつつあるということを?それを行っていることを?

A: Yes あらゆる予期を取り消さない限りは。

Q: (L) これは何とも油断ならないわねえ。

A: はてね?果たして。。。まあ確かに、あなたがこの現実の創造者だ!

おー、カシオペアンも「you create your own reality!」って言ってたのね

Q: (L) でも、予期するすると物事が台無しになるとも言ってたでしょ。だから予期はしたくないわ。A: 予期しても自分の現実は創造されない。

予期しないことで宇宙の創造性が開けるとすれば、ネガティブな事が起こる可能性を封じるのは何だろうか?ひょっとするとこれについても手掛かりがあったのでは?

カシオペアン曰く:

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いいかな、予期は「備えの母」であり、防御だ。

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教訓その1:常に攻撃を予期しなさい。
教訓その2:攻撃の形態を知りなさい。
教訓その3:攻撃に歯止めをかける方法を知りなさい。
攻撃を受けたら、問題を惹き起こすような予期せぬ出来事を予期しなさい。。。
だが予期できれば、「それを阻止する」方法が分かりそれを無害化できる。それがいわゆる用心であり、知識に根ざすものだ。知識は守る。

ということで、この問題の答えは、私達が右脳によって宇宙とつながり、境界を作り出す想像やイメージ、あるいは幻想的な概念でもって、フォース(力)を制限して宇宙とつながる能力をブロックしないなら、私達は自らの周波数共鳴を完全に顕現させることができるということらしい。同様に、必要ならば私達は、左脳のシステムでセキュリティー・ホールが無いかと絶えずコンピューターでスキャンするようにして、心を操られる道を閉ざすことができるのだ。私達は左脳という物質世界の王を、内面領域の女王である右脳と結婚させねばならないのである。

攻撃に関してはがっちり予期しなければならない、というのは面白い

普通の態度は逆だからね

だが、ペルスヴァルが全ての忠告、勧めをはねつけ、世界を救うために聖杯探求を行う偉大な騎士になろうとするのを止め、純粋で善良な全父としての神を拒絶したとき初めて。。。聖杯の方が彼を見付けたのだった。

荒地とは何だろうか?それは、世界および、私達自身を含めたその中の全てが、完全に自然ではない、本来あるべき完全な状態でないとして、それらを受け入れられないことを言うのである ― そこに含まれるあらゆる善も悪も、自然で不可欠なバランスの一部なのだ。全ての存在は自然で、いつもあるべき状態にある。あなたが全ては完全であることを受け入れ、右脳の女性原理のパワーを左脳にあるイメージで奪って、神を人質に取るのを止めれば、その時、世界は完全で豊饒さを取り戻し、あなたの心の中にある荒地という傷も癒えるだろう。

左脳と右脳というのは、この場合、低我と高我とか言った方が妥当かもしれない

自発的に、誰か他の人の信念体系の中に組み込まれることなしに行動できさえすれば、私達は自分自身に本当の問いを問うことができる;どんな答えが出るか先入観なしに問うこと;予期しないで問うことができるのだ。

カシオペアンに質問する時に、仮定を入れずに質問することが注意されるが、「どんな答えが出るか先入観なしに問うこと;予期しないで問うこと」に通じることだろう

そうすれば奇蹟的にも、あるときは空っぽだった聖杯の器が。。。次の瞬間にはありとあらゆる不思議と栄光で一杯となるのである。

谷神<こくしん>不死
是謂玄牝
玄牝之門
是謂天地之根
綿綿若存
用之不勤

谷の精は死ぬことがありません。
それは、神秘なる女性と呼ばれています。
神秘なる女性の門は、
天地の根源と呼ばれています。
そこからあふれでる水は、
ちろちろと流れつづけ、絶えることはありません。
そのはたらきは、尽きることがないのです。
老子 道徳経 成象第六
神秘なる女性の門(牛男訳『老子』)

この神秘なる女性は可能性という無限の海原である。期待、予期、仮定、執着をすっかり戸口に置き去ったとき、神がとり得る姿はこれだけではない。

無とは聞こえざる音、見えざる絵、照らされた闇である。
虚は時が経っても変わらない。
無があればこそ、人はこのように存在しているのだ。
これは合わせ鏡である。
予期しないでこそ干渉しないことができ、そうしてこそ最もよく創造のあり方を映し出せるのだ。
(Lao Tzu)

ローラがろくすっぽ読みもせずにスキゾイドサイコパスだと断じたHiddenHandが思い出されるなあ

彼は、一の性質を知るのに最も良い本は何かと聞かれて、ラー文書の他は「老子」と「荘子」だと答えた