このパンデミックにウイルスは存在するのかしないのか…の論争の歴史と焦点 - In Deep
それと共に、このすべてに意味がなかったことは、世界で最もブースター接種率が高く、最もマスク着用率が高い国である日本の現在の、あるいはこの夏の状況を見ていれば十不に理解できることですが、しかし、この期間、上のようなことを否定することにおいては同じ主義の人たちの間で、「絶対にお互いが意見を受け入れることがなかったテーマ」があり、それが、以下のふたつの主張でした。
・新型コロナウイルス (SARS-CoV-2)というものは、そもそも存在しない
この後者の「 SARS-CoV-2 は存在する」ほうについては、一般のほとんどの医師や医学者たちも、すべての主流メディアなども、すべてこちらの方向ですが、強硬なワクチンやロックダウンへの反対者たちの中にも、こちら側の人たちがそれなりにいます。
たとえば、最近たまにサブスタックの記事をご紹介することがありますワクチン安全性研究財団事務局長のスティーブ・カーシュさんもそうです。「存在する」と強く述べています。
しかし問題は、「存在する」、「存在しない」のどちらの意見が正しいのかはともかくとしても、お互い同じ反ロックダウン主義者であり、反コロナワクチン主義者であり、反全体主義者である同じ土俵の人たちが、「この意見については、お互いを激しく非難し続けている」という経緯があり、それが残念なことだと思っていました。
最近、Alliance for Natural Health (自然な健康のための同盟 / ANH)という国際的な組織のウェブサイトの記事で、この論争に関しての歴史と、見解を述べている論文がありました。
書いている方は、カーシュさんと同じ「ウイルスは存在する」派ですが、しかし、これをご紹介したいと思った理由は、「どちらが正しいかを判断する」ためのものではなく、この論文の最後の以下の言葉に共感したからです。
> この問題を解決し、合意した多数の問題に基づいて私たちの運動を再び団結させましょう。人間性、人間の尊厳、自由、そして自然を尊重する世界を再構築するという非常に野心的な仕事を団結して前へ進めましょう。意見や視点の違いを許容し、尊重することが重要です。
そうなんですよ。
ウイルスが存在するかどうかというようなことで感情的に喧嘩しているときではないと思うのです。
このどちらの側も最高クラスの専門家たちであり、「存在する」「存在しない」のどちらも主張の背景も理論的なものです。
しかし、この 2年 3年はそれが問題であるわけではなかったはずです。
ウイルスが存在しようが、存在しまいが、ワクチンもマスクもロックダウンも行動制限も過剰な消毒も「すべていけないこと」でした。
「ウイルスが実在していないからそれらは無意味だ」ということではなく、「ウイルスが存在していても無意味」なのです(無意味というか有害)。
まあ、そうなんだよね
ですから、存在する、存在しない、は、科学的な論争としては意味があっても、社会的には意味がありません。
とはいっても、これを書いている方自身が、ウイルス否定派を強く否定していますが、その論文の一部をご紹介させていただこうと思います。
ちなみに、私自身も、「新型コロナウイルスは実体として存在する」と思っているほうですが、仮に「存在しない」としても、この 2年半続けた主張(マスクへの反対、ロックダウンと行動制限への反対、ワクチンの大量接種への反対)はまったく変化するものではありません。この 2年半の問題の根幹はウイルスがある・ない、ではないです。
なお、論文には、「コッホの原則」という言葉が後半出てきます。
コッホの原則
1. ある一定の病気には一定の微生物が見出されること
2. その微生物を分離できること
3. 分離した微生物を感受性のある動物に感染させて同じ病気を起こせること
4. そしてその病巣部から同じ微生物が分離されること
しかし、私は昨年、ヒトヘルペスウイルスについて、いくつか記事を書きました(関係記事一覧)。そして、ヒト免疫不全ウイルス (HIV)もそうですが、それらの挙動を知るにつれて、「ウイルスの多くにはコッホの原則が当てはまらない」ことを思うようになりました。
たとえば、ヒトヘルペスウイルスは、再活性化するまでは病気は起きません。ずっと後に再活性化した時に病気が起きます(水ぼうそうウイルスが何十年後に帯状疱疹を引き起こすなど)。
その間、ウイルスは「細胞内で何年何十年も休眠している」わけで、あるいは、HIV も同じように何年も休眠します。その間は一切の活動をしません。
これらのウイルスは、休眠中は「宿主細胞の染色体に ウイルスの DNA が組み込まれた状態」となるため、「その人の他の通常の細胞と同じ」状態で休眠しています(ヤコブ・ゼーガル著『悪魔の遺伝子操作』より)。つまり薬等で排除することはできないのです。
そのため、休眠中は「検出も分離もいっさいできない」はずで、感染はしているけれど、再活性化するまでは、コッホの原則の「1」も「2」も「3」も、あるいは「4」も適用されないのです。
ふ〜む、なるほどね
こういうタイプのものは、さまざまにありそうで、どうやら、20世紀後半くらいからの医学で見出されてきた見識では、コッホの原則は、「細菌には当てはまるかもしれないけれど、ウイルスでは当てはまらないものが数多くある」ような気がしてなりません。
ウイルスは存在するのだろうか? 解決の重大な必要性
オルタナティブ・メディアの報道は、COVID-19 が、SARS-CoV-2 という感染性微生物さえ関与していない操作されたデマであるかどうかをめぐる一連の活動で再び騒がれている。これは、少なくとも和解が成立するまでは消えない。双方がそれぞれの議論に対して熱意を持っている。
この二極化が重大なのは、これが、健康の自由運動に真の害を及ぼす可能性のあるものだということだ。 不当なロックダウンやマスク、誤解を招く可能性のある PCR 検査や死亡率データ、忍び寄る全体主義など、COVID-19 に関する操作された科学や世界的な政策の欠陥をこれまでのところ多かれ少なかれ団結して訴えてきた運動への悪い影響が懸念される。
私は、スピリチュアルな観点から、このような「圧政に立ち向かうために団結すべき」という考え方には同意しないのよね
まあ、引き寄せとか、レオ・ネットワークとかみたいな考え方で
「スピリチュアルなんか知らねーよ!」という普通の人達が、「団結」にこだわるのは理解できる
普通の発想だからね
でも、まあ、どんなに頑張っても上手く行かないと思う
議論のうちの「ウイルスは存在しない」側の現在の主役の中には、ウイルス学者のステファン・ランカ博士(ドイツ)、医学的訓練を受けた 4人の医師、トム・コーワン博士(米国)、サム・ベイリー博士(ニュージーランド)、夫のマーク・ベイリー博士、そしてアンドリュー・カウフマン博士(米国)などがいる。
健康と運動の科学者であるマイク・ストーン博士(米国)は、主要な議論のほとんどを 1つの Web サイト viroLIEgy.com に統合する包括的な仕事を行った。
これらの 6人は、ファイザー社のアレルギーおよび呼吸器部門の最高科学責任者であった元副社長のマイク・イェードン博士を含む、「ウイルス論争に決着をつける」という文書の署名者たちだ。これは、2022年7月に トム・コーワン博士らによって提唱された。
なお、この主張の反対側、つまり「ウイルスは存在する」というほうには……ほとんど他の人たちがこちら側にいるが、「健康の自由運動」に関わる人物で、「ウイルスは存在しない」という主旨に反対の意見を表明している人物には、スティーブ・カーシュ氏とジェレミー・ハモンド氏が含まれる。
また、「ウイルスは存在しない」というコーワン博士らの立場に反論し続けている主要な医師には、ボブ・マローン氏、ピーター・マッカロー氏、ライアン・コール氏の各博士が含まれる。
コッホの原則は必須なのか、あるいは時代遅れなのか
科学や医学をざっと理解しただけでも、ウイルスが原因であると広く見なされている状態について、この仮定が必ずしも満たされていないことがわかる。
たとえば、腺熱に関連するエプスタイン・バーウイルスや口唇ヘルペス(※ どちらもヒトヘルペスウイルス)に関連する単純ヘルペスなどの多くのウイルスは、病気の症状を示さない健康な個人に存在する可能性があることがわかっている。
そのような人は「無症候性」と見なされる。この時点で、「無症候性疾患」という概念は矛盾していると思われる。感染して無症状の場合もあるが、無症状なら病気とは見なされないのがコッホの原則だ。
最終的には、健康の自由運動に参加している私たち全員が、このウイルスの議論の両側にいることに同意するだろう。宿主と微生物の相互作用を評価する際には、宿主と環境を考慮することが不可欠だ。
特定の条件下では、既知のヒトに感染するウイルスが、高度に特異的な受容体を介してヒトに侵入する。それらがすでに体内にある場合 (ヘルペスウイルスや口唇ヘルペスのように)、潜伏状態から活動状態(※ 再活性化)に変化する可能性があり、その後、複製が過剰になり、細胞変性効果を誘発し、身体システムの多くに害を及ぼす可能性がある。多くの場合、何十年にもわたる調査とパターン認識に基づくものだが、これは原則3と原則4を満たすことができない。
なるほど
興味深いことに、1890年にベルリンで開催された第 10回国際医学会議でのコッホ自身の演説で、彼は、私たちが現在ウイルスと呼んでいる生きていない微生物の存在を知る前でさえ、病気の因果関係を有効に証明するには、最初の 2つの原則のみを満たす必要があると述べている。