アラフォー賢者の気ままな引き寄せライフ~第四密度行ったら本気だす~

気ままにスピ雑談、多少は人が見て勉強になりそうなことを書いていく

(本)家族評価 ボーエンによる家族探求の旅・その十四

30〜40歳に発症して、重大な機能障害を伴う重度の身体的な病気は、適応性の低い人や家族に発生しやすい

個人の適応度は身体的病気の形成に関わる重要な変数の一つ

身体的な病気は現在と過去の世代における家族情動システムの障害である

癌、循環器疾患、リウマチ性関節炎、骨粗鬆症、肥満、無食欲、子宮内膜症、大腸炎、痴呆、結核ハンセン病肺気腫、住血吸虫病、てんかん、肝硬変、乾癬、糖尿病、その他には、発病年齢と臨床経過の二つの変数がある

個人の慢性ストレスレベルは発病予測時期、病気の程度を決定する重要なもの

(本)身体が「ノー」と言うとき、という記事を前に書いた

参考にどうぞ(検索してね)

・情動関係とは無関係に、人々に子供が出来なかったり作らない理由はいくつかある

明らかに分化レベルが低ければ生殖の失敗につながるかもしれないが、生殖の失敗は必ずしも分化の低さを示すものではない

分化レベルの低さはまた避妊をしない生殖に現れている

人々は今居る子供に上手く対処できないことが明らかになる時、こどもを作り続ける

・特定の疾病が一家族に集中して発症するのは、情動過程よりも遺伝子に関係することがしばしばあるが、臨床経過は情動過程に重大な関連がある

適応性を査定することは臨床結果を予測するのに役立つと思われる

分化の低い人は重症化しやすいってこと

 

連続婦女暴行者あるいは殺人犯のような「極悪」の犯罪者が生まれるのは、最重度の身体的・情動的な機能障害を生むのと同じく、複世代にわたる機能の下降傾向の所産である

社会的機能障害において未分化は、社会的無責任という形をとり遂行される

家庭内暴力は不十分な適応力をもつ家族において最悪の形態をとる

極端に反社会的な行為を繰り返す人は尺度25以下で、変化の可能性がほとんどない

彼らはしばしば社会の中よりも刑務所の方が落ち着いている

 

精神分析理論は欠陥を本質的に心理学(精神病理学)であると考えるが、近代の生物精神医学では本質的に生物学的(脳病理学)であると考える

家族システムズ論は、機能障害を自然に生起する関係過程に結びつけている

家族システムズ論は心理学と脳病理学の中間的存在だと言えそうである

心理学は人間を「自由意志」を持った非動物的存在と見なし、脳病理学は人間を一種の機械と見る

家族システムズ論は人間を、動物的な群生本能にそれなりに縛られている、それなりの自由意志を持った存在と見る

自然に生起する関係過程が機能障害を招くなら、「普通の」人と「病める」人という別々のカテゴリーは必要ない

病気は量的変化を反映しているのであって、質的変化を示すものではない

人の行動が自然に生起する関係過程に基づいているとする見解は、自然科学になりうるという意味である

「普通」の人と「欠陥」がある人に分けるという二分法は「欠陥」のある人を生み出している関係過程に自分が関与していることも、支配されていることも否認する

 

感情と態度を修正するのに最も効果的で永続性のあるアプローチは、人の思考方法に変化を求めることが必要だと思われる

自己を責めたり、他者のせいにすることは、関係の作用を誤って認知することだと納得すれば、自己と他者についての感情の多くは自動的に変化する

これは、自分や他者を「許す」とは異なる過程である

許しは「正しい」「良い」「すべき」についての感情を基盤にしている

思考方法の変更には、因果モデルからシステムズ・モデルへのできる限りの移行を必要とする

その移行過程では、多くの情動的中立性を獲得できる

完全な情動的中立性を獲得することは不可能である、しかし、自分を始めとして他の人々の複世代家族を十分調べることで情動的中立性を発揮できる

つまり、家族を調べることで分化が高まる、ということだ

 

関係システムの成員が互いに反応しあって機能するなら、誰かが情動上の機能を損なう

関係システムの成員が情動的自律性をもって接触できれば、機能を損なう立場に陥ることはない

・怒りや責めは、過剰機能している人が少し行動の仕方を変えてはいるものの、なお過少機能している人と融合し、情動的にはその人にまだ固着していることを示す

・通常病気はいくつかの因子、あるいは過程の相互作用の結果として生じる

疾病のシステムズ・モデルでは、多数の因子あるいは過程が相互に影響しあって特定の臨床上の症状を生み出している

システムズ・モデルの問いは、「何が病気を引き起こしたか」ではなく、「病気の人の内部と、その人の主な関係ネットワーク内にある調和した関係均衡がどのように乱れたか」についてである

ある疾病を「引き起こす」ようなウイルスに感染している人が皆その疾病にかかるわけではない

因果モデルはとりわけ感染症の治療にはこれまで極めて有益であった

しかし、病原を持ちながら病気にならない場合や、特定の原因が不明のリウマチ性関節炎のような慢性疾患にはほとんど役に立たない

病院では分裂病の「治療」をするが、その過程で「疾患」を永続させている、「精神病を抑制しながら分裂病を維持している」と言える

・問題への治療的アプローチが単一レベルで失敗すると、ほかのいくつかのアプローチが適用されるかもしれない

標準の医学治療に反応しないがん患者に対して、ローレンス・ルシャンは心理療法的アプローチを発展させた

「医学上絶望状態の人」に対するルシャンのアプローチでは治癒率50%である

ルシャンのアプローチは生物的・心理的・霊的などの複数のレベルにおける治療の重要性を強調している

彼は、霊的レベルとは、存在を意味づける枠組みを持とうとする深遠かつ基本的なニード、と定義している

ルシャンの治療目標は癌を治すことでなく、患者が「自分自身の歌を歌う」とか「自分自身の名前で生きる」ように援助することである

・セラピストが個人療法で子供を治療すると、家族投影過程を強化するかもしれない

小児科医が子供の慢性喘息の薬物治療に専念すると、症状は軽減するかもしれないが、家族不安の貯蔵庫の子供の立場を強化する

・システムズ・モデルは精神病に向精神薬を処方すべきでないとも、慢性関節炎リウマチに抗炎症剤を処方すべきとも考えていない

システムズ・モデルは順守すべき一連の「規則」ではなく、全体像に留意するための枠組みである