分離した個々の自己であるという宣言を無視する、無効にするような家族の力に打ち勝つには、家族の中にある三角形の連鎖の本質を学び、その知識に基づいて行動することが必要である
三角形とは「情動的論理」と呼ばれるものによって支配され、その情動性に方向づけられた言動に応じるものである
三角形の過程で行動化する人は、起きている事柄について最も理にかなった十分に明晰な説明を無視するという、驚くべき能力を持っている
誰も三角形化されることに免疫を持たず、また他者を三角形化することに免疫を持たない
人が分化を維持するということは、関係が避けようとしている問題を関係の中に保持することである
人が三角形の他の二人と適切な接触を保てれば、その関係は幾分か改善が図られるだろう
一人が自分自身の機能にさらに責任を取るなら、他の二人はそれに従うであろう
機能障害は、各家族の中で(1)配偶者の病気、(2)夫婦葛藤、(3)一人ないしはそれ以上の子供の障害として発生する
症状は身体疾患(医学的障害)、情動疾患(精神医学的障害)、社会的疾患(行為障害、犯罪的障害)という形を取る
これはポイントかな
普通、身体疾患、情動疾患、社会的疾患ってのは全く別物だと考えられているけど、この理論では根っこが同じだと言うのである
親の一人が機能障害を持つということは、それぞれの家族成員の不安が、症状を示している親に一方的に吸収されることを意味する
夫婦関係に葛藤があると、家族の不安は夫と妻の関係に吸収される
子供に機能障害がある場合、不安は子供に吸収される
一つの関係や一人に吸収される度合いは、その他の関係や成員が機能障害から守られる度合いに等しい
分化の低い家族では慢性不安のレベルが高いので、一つの関係や一人だけでは不安全体を吸収できない、数人に慢性症状があるかもしれない
分化の高い家族では、不安は一つの関係、一人の低い機能に包み込まれる
十分に分化している家族は通常症状を形成しないが、かなりのストレスがかかると症状が形成される
これらの情動機能形態は交互に入れ替わることもある
不安の高い時期に母親が身体の病にかかるかもしれない、次の時期には子供が行動上の問題を起こすかもしれない、その次の時期には父親がうつになるかもしれない
夫婦関係は二つの転移の連合と見なすことができる
夫婦関係は、各自の成長体験によって、相手の転移の互恵的な側面を行動化するように訓練された結果としてもたらされる
この転移の連鎖は病理的ではない
分化レベルが高くなるほど情動的融合は弱まり、関係はますます信頼・誠実・相互尊重といった要因によって強化される
人は同じ自己分化レベルの配偶者を選択する
これはなんでなのか書いてないんだが、とにかくそういうものであるらしい
それぞれの配偶者はその関係から情動的強化を得たいとする欲求を同程度に持つ
夫は妻との関係において妻の家族と同じ方法で機能し、妻は夫との関係において夫の家族と同じ方法で機能する
こうしたことは、自分が育った家族とは違うもの、あるいはそれよりも良い状況を作ろうと決意している時にさえ起こる
違った方法をしようと決めているにも関わらず過去を繰り返すのは、原家族の問題の本質に関する間違った仮説に基づいて努力するからである
例えば、親に愛されなかったことを恨んでいる人が「子供を愛しまくれば子供は幸せな一生を送るだろう」と考えるとか
あとで出てくる
夫の家族と夫との間の未解決な愛着は、妻の家族と妻との間の未解決な愛着に等しい
関係拮抗した互恵的機能の種類は、おそらく無数にある
例えば、高いエネルギーを持つ人はしばしば低いエネルギーを持つ人と結婚し、「気分にムラのある」人は「安定した」人と結婚し、表面上穏やかな人が華やかな人と結婚することはよくある
しかし、一人が、もう一人よりも関係に強く影響を与えている傾向がある
優位な立場にいる一人は、通常、相互の合意のもとにそこにいる
それが関係の情動的適合の産物である
優位な人は指示すべき相手がいないと「喪失」感があり、劣位な人は指示を出す人がいないと「喪失」感がある
分化の低い人ほど、このような方法で自己を「完成する」ために相手にますます依存する
症状を出しやすい人は、関係の調和を保持するために自分の思考・感情・行動に関する調節を最大限にする人である
家族構造に関わりなく症状形成の共通特徴は、情動上最も重要な関係の混乱である
情動機能障害は軽度の神経症から慢性的な重度の精神病まで連続線上にある
それは質的でなく量的である
ある人に小さい不安を与えれば神経症になり、同じ人に大きな不安を与えれば精神病になる、ということ
(過少機能の人の)「非自己化」の場合、罪悪感を持ち、自分を「悪い」とか「邪悪」と感じ、自分を非難する
分化の低い人の場合、他の人に害を与えたり、傷つけたり、信用を落とさせるのではないかという思い込みがつよくなって、独りで何かするという衝動は簡単に押しつぶされてしまう
彼は過剰機能する人の「強さ」や意思決定に頼る
分化レベルの低い(過少機能の)人は、世話をして欲しいという子供っぽい願望を持つようになるだろう
分化レベルの低い(過剰機能の)配偶者は、ほぼ全面的に低い機能の配偶者を気遣って機能する
このような「機能的な」配偶者は、相手を援助の必要な病人と見なすことで安定する
彼は、相手が実際に言っていることよりも、彼の主観的な解釈に基づいて「診断する」
言い換えれば、彼は自分自身の不安と欲求というレンズを通して配偶者を見る
過剰機能する人の「有用性」は、機能障害を持つ人の絶望的で依存的な立場をさらに強固なものにする
アルコール依存症の夫をもつ妻みたいなのが典型
死別や離婚によって関係が分断した後、それぞれに起こる機能上の変化は(家族システムズ論の)最適な証拠となる
離婚が発生すると、「病気」の配偶者は驚くほど早く回復することもあり、「健康」な配偶者は突然に或いは徐々に機能障害に陥ることもある
優位・劣位に纏わる過剰機能・過少機能の偏りがなくなる
身体的機能障害は連続線上に存在するものと概念化でき、軽度の身体的病気から、慢性でひどい衰弱や、早世につながるような重度の身体的病気が含まれる
分化レベルが低いほど、身体的病気はさらに重症になる傾向がある
糖尿病の場合、どの分化尺度の店にいる人でも多分発病するが、分化レベルが低いほど重症の合併症を引き起こすであろう
別の言い方をすれば、糖尿病は情動機能障害によく似た方法で、不安を拘束する
「心と身体の連鎖」や「人と人との連鎖」は、一人の不安がもう一人の身体症状として出現したと捉えることができる
「心と身体の連鎖」は不安が身体症状・病気に出ること、「人と人との連鎖」は不安が人に伝染すること
「適度な」症状は人や家族を落ち着かせる
しかし、過度な症状は、通常全ての人の不安を増す