アラフォー賢者の気ままな引き寄せライフ~第四密度行ったら本気だす~

気ままにスピ雑談、多少は人が見て勉強になりそうなことを書いていく

(本)ブライス家の人々 家族療法の記録、その十四

夫婦となる二人は相手に、何か馴染みのあるものや目新しいものを見つけ出さねばならず、若い男性なら未来の妻に知らず知らずのうちに自分や家族の誰かと似通った部分のあることを感じ取っているものである

二人が出会うと、この「おなじみのものに会釈したいような気持ち」が起こり、、それがお互いを引き行ける大きな力となって、いわば二人は「家」でくつろぐような気分に浸るのである

幼児期の生活がいかなる性質のものであっても、誰にもその時期に培われた自己を保ちたいという強い欲求があるので、その意味ではかつての家族と蹴っこない手との間には必ず密接な関連性があると言えよう

パスワーク的には、「その時期に培われた自己を保ちたいという強い欲求」というか、無意識レベルで幼少期の不幸と勝負してるらしいんだけどね

パスワークからその1、インナーチャイルド - スピリチュアル中級者以上・スピリチュアル難民向け/非二元系チャネリング「さやかアンドリュー」非公式ブログ

 

一方、生まれ育った家族に対して、どことなく不満を抱いているものである

新しい家族を築いていくときに、自分の育った家族に存在した問題がわずかでも解決されることを望む

例えば、あからさまに口論することが出来ないような過程に育ったひとなら、自由にそれができる雰囲気に育った相手を選ぶかも知れない

 

自分がおびえさせられたり、実際に危険に晒されるような相手を選ぶということは、どのように説明すればいいだろうか

自分自身であろうとする欲求が高まると、苦痛や喜びといった事柄には優先してしまうのである

イマイチよく分からんが・・・

虐待されても養護施設に入ろうとせず、親元を離れない子供

そして子供は成人すればあれほど恨んだにも関わらず、親から受けた同じ扱いを自分の子供にしてしまう

私は知らないし関わりたくないけど、「なるほどねえ。昔、こんな感じで親は私を殴ってたんだなあ」と人間理解が広がり、本人にはいいのかもしれない

結局、自分にとって馴染みのパターンを繰り返すというわけである

 

結婚には無意識的であろうが、当初から暗に離婚が計画されていると言えるようなものがある

二人にとってはそれしかほかに問題解決の方法が見当たらないのであろう

 

離婚の危機は、平均すれば結婚後七、八年の場合が多いと言われている

新婚時代はそれぞれが不安定なので、二人が強く依存し合えるような器を作ろうとする

しばらくの間上手く行く

安心感ととに、自分が保護されているという気分になれるからである

やがて、結婚生活の窮屈さや束縛感といったことについて疑問を抱くようになる

相手に強く依存することはエネルギーを消耗させられる

相手を拒否する危険を冒すことができないので、不興を買いかねない自分の感情は全て抑えねばならないからである

短期間ならさほど難しいことではない

ただ、何年も続けば、自分が矮小化され、無意味なものにすら思われてくる

二人はそれぞれ相手に「呑み込まれた」と感じるが、これが依存心の裏に隠されたカラクリなのだ

ほどなく夫婦は相手から見捨てられたと感じ始める

夫婦間で行われる素人の心理療法はささいなストレスには効果があっても、やがては行き詰まる

適切な個性化をしていない場合には、ささいなストレスでさえ、子供時代の潜在的な恐怖心を刺激する、不安な子供時代に押し戻されるような脅威に晒される

そこで、大抵の人は、自分の身を守ろうとして離婚を考えるのである

 

一方が見捨てられること、他方が呑み込まれることに敏感な場合、相手に共感すること自体が難しい

妻が夫に見捨てられるという怖れを抱き始めると、相手にますます近づくのは自然なことであるが、この努力はかえって夫を妻から遠ざける結果になる

呑み込まれるという恐怖心がいっそう煽られるから

そして二人は共に不安に駆られながら、別世界に住むかのように感じ始めるのである

きっとこれが結婚の醍醐味なんだろうね

 

妥協や譲り合いの精神はとうの昔に失われ、それぞれは相手を変えようとしても変えられなかったための怒りに満ちている

お互いに相手を変える望みはもう捨ててしまったが、実際にはそれとなく変化を遂げてきたのである

子供の養育や生計の維持、緊急事態の対処や友人との付き合いなど、お互いが自分自身に気付かされたり、自信を深めたりしてきたからである

芽生えたばかりの本来の自分を生かしたいという気持ちは、結婚生活で拘束されているためにまだ自由に謳歌されないでいるが、少なくともいままで絶対に必要だと信じてきた牢獄を捨て去る勇気を持つようになったのである

 

夫の浮気、妻の仕事、母親の存在など、それ自体は大した問題ではない

離婚のプロセスはお互いの「再生」への渇望を表すものであり、二人の人間性を否定する「家族意識」を捨て去ることに他ならない

夫の浮気、妻の仕事、母親の存在などについて、世の中で論じられていることは、往々にして的はずれなんだよねえ、家族療法の観点からすれば

 

法的に離婚する夫婦の数は非常に多いものだが、大半は気持ちの上では依然として繋がれている

それは、内的にも子供たちを通しても、これまでの関係を容易に断ち切ることができないためである

夫婦が心理的にも法的にも自由に慣れるような有意義な離婚をするには、幸せな結婚生活を続けていくのと同じものが求められる

真の個性化が必要とされる

出たー、なんか引き寄せみたいな逆説