「ポジティブシンキングは巷で良いとされているが、本当は良くない」(アニータ・ムアジャーニもそんなことを書いている)という割とよくある批判に関して、私からの回答
エイブラハムの波動(感情)調節ワークにフォーカスウィール(焦点車輪)ってのがある
悪感情をもたらすようなテーマについて、より気分の良くなる表現を出していく
その時に、少しずつ気分が良くなるように表現を重ねていくのがコツ
あまりにも大きく気分が良くなるような表現を持つと、しっくり来ない感覚がある
自分で書いておきながら「これは自分で全然全くそう思ってないな」という感覚がある
(この感覚が麻痺してる人はやばいんだろう、アダルトチャイルド)
そういう感覚を「車輪に弾き飛ばされる」とエイブラハムは表現している
波動(感情)は急には上がらない、ということだ
(本)「願えば、かなう エイブラハムの教え」より
「私は税金の申告書を作成する作業を楽しんでいる」と書いても弾き飛ばされます
「政府が私の金を徴収して、無駄なことに浪費するのは素晴らしいことだと思う」もだめです
「私が今感じているように感じたことのある人は大勢いて、彼らは現在うまくやってるはずだ」は使えます
こんな感じ
スピ界でも世間一般常識でも「感謝しなさい」とか言うだろ
しかし、この本においては「感謝する」というワークにふさわしい感情状態は「1:喜び、知っている、有力感、自由、愛、感謝」〜「5:楽観的な姿勢」までである
波動は急には上がらないので、感謝の波動に手が届くギリギリというのが「5:楽観的な姿勢」ということだ
これ以下の感情状態の人、例えば不平不満の感情状態にいる人に「感謝しろ」と言っても無理なんだよね
というわけで、ポジティブシンキングは全般的に言えば良いものなんだけど、全ての感情状態にに適した方法であるわけではない
つまり、現時点で感情状態が相当低いような人が無理やりポジティブシンキングしても効かない、というわけ