アラフォー賢者の気ままな引き寄せライフ~第四密度行ったら本気だす~

気ままにスピ雑談、多少は人が見て勉強になりそうなことを書いていく

(本)バーソロミュー2 大いなる叡智が語る神への覚醒、その三

「愛のこころ」はみぞおちにはありません

みぞおちは条件付きの愛の宿るところです

それは心臓でもありません

ハートチャクラのところに感じる人もいれば、頭の部分に感じる人もいます

頭の部分に感じるってのは初めて聞いたけど・・・

まーなんか色んなチャネリングで、今の時期は第三密度から第四密度への移行である、とか言うよね

それに対応して、第三チャクラ(鳩尾)から第四チャクラ(ハート)へエネルギーを上げる、なんてこともよく言われるね

 

怒りの状態にある自分を発見します、「誰が怒っているのか」

お腹が空いている自分を発見します、「誰がお腹が空いているのか」

退屈している自分を発見します、「誰が退屈しているのか」

怖れの状態にある自分を発見します、「誰が怖れているのか」

こうした質問にはすぐに答えてはいけないということを理解することが大切です

通常の方法で答えることは不可能だから

質問が自ら答えを出してくれるまで待つのです

それは「思考」から生まれる答えではなく、「直感」から生まれる答えなのです

この答えは、自分の意識の焦点を何度も何度も「私」、つまり「大いなる自己」に合わせ、やがて 「大いなる自己」が自らの姿を現すという過程を通して生まれます

バーソロミューによるラマナ・マハリシの問いかけの解説はこういう感じ

 

地獄の炎の映像が映っても、スクリーンは焼かれません

キリストや釈迦牟尼の映像が映っても、スクリーンは変わりません

スクリーンは永遠であり、不変であり、実在するものです

この永遠のスクリーンこそが、自分だということを分かって下さい

普通の非二元っぽいね

 

この惑星の振動レベルをこえてお礼状に達すると、すべてが瞬間的に起こるのが分かります

「進歩」などというものの存在を信じる限り、あなたは時間の存在を信じ続けます

さやかみたいなこと言っとるな

 

やがてすべて「一つ」なのだと分かる瞬間がやって来ます

行くべきところは何もないし、するべきことは何もない

ただ「在ること」を体験するしかないのです

ただ在るってのもよく言われる

 

世間から気に入られたい、世間から良い人だと思われたいと努力している時には、螺旋状に加工していくエネルギーの渦に巻き込まれてしまっているのです

最終的にはあなた方が探している愛をもたらす唯一のものは、貴方自身の中にある愛です

あなたの最も奥深い部分では、自分を愛してくれる人を探そうとしているのではなく、自分の中に愛を感じようとしているのです

自己批判は自分の中にある愛に気づくことを妨げる働きをするのです

これは引き寄せでもそう

 

あなた方がここに送られてきたのは、地球界を楽しみ、喜びを見出し、毎朝喜んで飛び起きるような人生を送るためです

ここで私が話しているのは、創造的運動を起こして、人生に新たな分輻を切り開くということです

喜びと充実感を与えるのは、自分がしたいことにエネルギーを注ぐという行為そのものなのです 

なんかバシャールみたいな、普通のニューエイジものみたいなことを言ってる

物質的世界を超えた「悟り」の話はどこ行っちゃったの?

「ハワイ・ワークショップに来た初心者向けのリップサービスなんだろうか?」なんて気がしてきちゃうんだよな

 

恥丘の大句の人達は、その日一日を生きるのに精一杯で、食べ物を探すためだけに、信じられないほどの苦労をしています

あなた方(バーソロミューのハワイ・ワークショップに来ている人達)はそのような人生を送っていません

だからといって、後ろめたさを感じる必要はないのです

自分はなぜこうした機会を与えられたのか、それに対する自分の責任は何なのか、と自分に問う必要があるということです

光と純粋な意識の世界にできるだけ入って下さい

あなたがそうすることによって、地球全体がその恩恵を受けます

ヨシッ、私も後ろめたさを感じないようにするぞ

一瞬たりとも罪の意識を感じたりしないで下さい

全くの時間の無駄です

エゴの囁きです

あなたがここにいるのは全ての悩みや苦しみは幻影であると知るためであり、あなたがそれを知ることによって、何百万何千万という人々を助けることになります

 

ラマナ・マハリシについて ジャスティン・ムーア」という小節が挿入されていて、なかなか優秀な内容である

ここで引用されたマハリシと弟子との対話は最高のものの一つではないだろうか

それはそれとして、マハリシの死に関してマハリシはこうして「故郷」に帰ったなどという記述は、実質的に全然マハリシ理解してませんという告白であり、マハリシもこれじゃ浮かばれないぞ

マハリシは生きてあれこれやって生活している時からすでに「故郷」に帰っていたのである

 

私たちが地球界を導く時に感じる大きな悲しみの一つは、現代人の殆どは奇跡の力(注)を信じていないということです

(注)奇跡とは、神なるものを体験することであり、心を高揚させる啓示体験である

ここでの奇跡は普通に超常現象の意味なはず

注つけてる奴がすでに奇跡を信じてないってのがおもしろいね

アッシジの聖フランチェスコ、聖痕

ピオ神父、聖痕、血の滴る痕に使った包帯で人々の病気が治った