歴史
・医学業界がビタミンDの毒性というアイディアに執着してビタミンDを違法化しようとした(という説)
単位をmgからIUに変えた、20mgが100万IU
7人の医学生に馬でも殺せる量のビタミンDを飲ませる実験、7人はもちろん体調を崩した
この実験を証拠としてビタミンD市場を閉鎖させてしまった
・もちろん非難が上がったので、1928年政府がイリノイ州大学にビタミンDの調査依頼、ステック報告
犬、一日に体重1kgあたり2万IU与えるのを数年間やっても大丈夫
人間、一日200万IUを7日〜5年やっても大丈夫
短時間の超多量摂取からくる毒性には後遺症がない
(当時はD3はなくD2で実験された、D2の方が効果弱い)
こういう報告を無視して医学会「一日400IU以上のビタミンD摂取は毒性になるかもしれない」、400IUはくる病を防ぐギリギリの量
・1944年ビタミンを薬剤と定義したので薬局でしか買えなくなった
すぐ覆されたが、製薬会社は諦めない
1952年FDAは無許可添加物を含む食品を違法にしようとしたが、成功しなかった
1957年FDAはサプリ業者を起訴し始め、「インチキ」という言葉も使い始めた
1960年FDAはサプリに含まれる葉酸を0.4mg以下に制限、後にこの量では足りないと分かる
1973年ビタミンAやDの多量錠剤の販売禁止、ノーベル賞化学者ライナス・ポーリングの挑戦を受ける
1974年議会がFDAを制御、ビタミンを薬剤ではなく食品として扱うようにさせる
1976年ビタミン多量摂取サプリを非合法化する動きを止める法案が可決
1977年FDAはビタミン多量摂取サプリに医者の処方箋を必要とさせる試みを諦める
1979年またビタミンのいくつかを薬剤と分類しようとした
1992年テキサス州でビタミン・健康食品店に手入れして在庫没収、誇大広告という理由で店のオーナーを投獄
1993年ビタミンの販売や健康効果に関する宣伝を規制する計画立てた
1994年大衆は我慢できなくなって、栄養補助食品健康・教育法令を可決させた
2011年悪徳政治家が栄養補助食品表示法令を導入した、これで1994年の栄養補助食品健康・教育法令を覆そうとした
サプリ販売の肝単な申告をもっと面倒で高価な許可システムに移行させるつもりだったが、この法令は可決しなかった
・今はUN・FAO・WHOのCODEX(食品委員会)が全てを乗っ取ろうとしている
ドイツはCODEXを使って統制基準上げた
ドイツの栄養補助食品指導要領草案によると・・・
栄養補助食品を予防薬として売ることを禁止する
食品として売られる栄養補助食品は委員会で定められた薬量を超えることが出来ない
CODEXの栄養補助食品の基準は絶対的である
将来新しく出てくる栄養補助食品はCODEXの基準に従わなければ販売できない、この許可を得るには莫大なお金がかかる
赤道近くでは発生率が低いが、赤道から離れるほどに発生率が高くなるようなら、ビタミンD不足に関係がある病気だということは確かである
追
自分で2万IU試してみた
確かに睡眠に効く、妙に眠くなったりする
あと、花粉症にビタミンDが効くとよく言われるのだが、それなりに少しは効いてる気がする