魔女狩りの時代、紀元1450〜1750年
正統派は常に女を侮辱してきた
十世紀クリュニー修道会のオド「女を抱くことは肥やし袋を抱くようなものだ」
仏教でも女を糞袋と言うそうだ(「劣情」に負ける人は、富裕層になれない (2/3) | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン))
大差ないね
トマス・アクィナス「万物の創造においては、いかなる欠陥物もつくられるべきではなかった。したがって、女は生み出されるべきでなかった」
アポクリファ「罪は女から生じた。女のせいで我々は皆死ななくてはならなくなった」
十三世紀ドミニコ会士「男を困らせるもの、強欲な獣、尽きることのない悩みの種、果てなき争いのもと、日々堕落していくもの、嵐を宿すもの、信仰の邪魔者」
宗教改革の勢いが増すとマリア崇拝に疑問が持たれるようになった、審問官はマリア像を拷問の道具に改造した(鉄の処女のことっぽい)
魔術は古代の多神教と共通する部分があった、古代の占い、魔女witchの語源は古代の多神教の男性信者wicceと女性信者wicca、こうした信仰はヒエラルキーのない平和な社会に見られた、これは正統派が不可能と言い続けたこと、これを隠そうとして魔女や魔術を禁じる
教会は魔女など存在しないと言い続けてきたが、十三世紀に意見を翻し魔女は悪魔の手先と言い始めた、魔術師は古代の多神教と関係ないものとされた
教会が作り上げた悪魔崇拝のイメージはキリスト教の儀式や習慣を反対にしただけ、悪魔教はキリスト教のパロディー、神は掟/悪魔は契約、キリスト教徒は跪いて礼拝/魔女は逆立ち、サクラメント秘蹟/エクスクラメント糞便、聖体拝領/黒ミサ、祈祷文/祈祷文を逆さに読む、ホスチア/カブ、聖痕/悪魔は左手で魔女の身体に印を付ける、聖人は涙を自在に流せる/魔女は涙を流せない
魔女の存在を信じないものは異端と見なされた、出エジプト22.18「魔法使の女は、これを生かしておいてはならない」、ジョン・ウェズレー「魔術を信じないことは、聖書を捨て去ることと同じである
魔女狩りのおかげで教会は引き続き甘い汁を吸う、1592年教父コルネリユス・ロース「人々は哀れにも厳しい拷問を受け、身に覚えのないことを無理やり告白させられる。そして無実の人々は残虐に処刑され、命を奪われるのだ。それは、人間の血から金や銀を生み出す新しい錬金術なのである」、魔女裁判が始まった時期とその他の異端審問が終わった時期が一致
魔女の印を探す、いぼ・そばかす・あざはサタンと情交した証、印がなくても被告人の目を針で刺すといった方法で有罪を立証できた
拷問で自白を引き出した、拷問を受けても死ななかった魔女は火炙り、火刑は公共広場ですることが多かったので木星のくつわをかましたり舌を切ったりして言葉を出せないようにする
女の乳房や性器を釘抜き・やっとこ・真っ赤に焼けた鉄の棒などで傷つけた
熱烈なカトリック教徒の男性は女囚の独房を訪ねてもよいという規則があり、暗にレイプが認められていた
子供も拷問を受けた、二歳の子供の証言さえ有効とされた
社会の秩序や権威が揺らいだり、反乱が起きると魔女のせいにされた、プロテスタント諸国でより多かった
魔術は罪である、地上に神の力があると考えるものだから、地上で超自然的な力を発揮するのは悪魔でならなくてはならない、すると善い魔術もないので魔女を殺すしか無い
特にプロテスタントでは、十字や聖水や聖人や守護天使などの習慣が廃止されていたのでどうしようもなかった
民衆は異端審問と関係なく自分たちで魔女狩りを行い無数の命を奪った、魔女泳ぎ(浮いたら魔女、沈むと無罪だが溺死)
仕事が上手く行かないのも、家が貧乏なのも、何から何まで魔女のせいにされた、魔女は個人的な不幸・狭窄・飢饉・疫病の責任を負わされた
宗教改革で地域共同体の協調性よりも個人の道徳が重視される、封建制が崩壊すると未亡人の扶養がなくなり大勢の物乞いが生まれた、施しを拒んだ者は罪悪感をなすりつけ物乞いを魔女だと訴えた
格好の標的は老婆、昔から賢い老婆は最高の力を持つ女性の象徴とされてきた、治療の心得のある賢女は特に餌食になった
宗教改革以前の民衆は聖職者・修道士・医者よりも賢者に治療を求めていた
エリザベス朝のある説教者「(治療は)まじないや占いによってなされるのではなく、断食と祈りを通して主にひたすら懇願することによってなされる」(だから、非公認の賢女等の所に行って薬草やらで治すな、ということ)
教会公認の男性の医者は下剤・瀉血・燻蒸消毒・ヒル・ランセット・水銀などの毒性の強い化学物質を駆使したが、薬草の知識豊富な賢女に敵わなかった
医者が自分の無能さを魔術のせいにすることも多かった
医学はもともと薬草や魔術と関係があった、医学を意味するギリシャ語pharmakeiaとラテン語veneficiumには魔術・薬という意味があった、今や薬草の油や軟膏を持っているだけで魔女と非難された
現代においても、薬草をそのまま使う漢方やアーユルヴェーダは、西洋医学と比べて軽んじられている
そういう態度は、もしかしたらここらへんに根っこがあるのかも
魔女狩りは産婆まで及んだ、正統派は出産によって母子ともに汚れると信じていた、宗教改革以前は女にうってつけの恥ずべき職業と見なされていた
産婆が薬草で陣痛を和らげることは侮辱的行為とされた、出産の苦しみは神が定めたから、創世記3.16「わたしはあなたの産みの苦しみを大いに増す。あなたは苦しんで子を産む。」
マルティン・ルター「出産で死ぬなら死なせるがよい、それが女達の存在価値なのだから」