アラフォー賢者の気ままな引き寄せライフ~第四密度行ったら本気だす~

気ままにスピ雑談、多少は人が見て勉強になりそうなことを書いていく

(本)ファスト&スロー下 ダニエル・カーネマン・後

「経験する自己」と「記憶する自己」

昔麻酔が一般的でない頃の大腸内視鏡検査で、60秒毎に苦痛を十段階で評価してもらい、検査終了後に苦痛の総量を評価してもらう、という実験の結果

ピーク・エンドの法則:記憶に基づく評価は、ピーク時と終了時の苦痛の平均でほぼ決まる

持続時間の無視:持続時間は、苦痛の総量の評価にほぼ影響しない

ここから「経験する自己」と「記憶する自己」の二つの自己が浮かび上がる

 

これを踏まえた心理学者の問い、「ジェーンの一生の幸せの総量は?」

シナリオ1:ジェーンは非常に幸せな一生を送る(死亡年齢:30歳または60歳)

シナリオ2:シナリオ1に5年加わる。その5年もまずまず楽しいが、以前ほどではない(死亡年齢:35歳または65歳)

結果、ピーク・エンドの法則と持続時間の無視が認められた

大半の人が5年加わっただけで人生が台無しになったと判断した

 

「休暇の終わりに撮影した写真やビデオを破棄し、休暇の記憶を全て消す薬を飲むとする、休暇プランに影響するか?」

「麻酔の効かない苦痛に満ちた手術をするが、手術後記憶を消す薬を飲んで、嫌な思い出を完全に消し去ることが出来る、あなたはどう感じるか?」

多くの人は経験する自己の苦痛に無関心

私は記憶する自己であって、経験する自己は他人のようなもの

幸福にも、「経験する自己」の幸福と「記憶する自己」の幸福の二種がある

どっちをどれくらい重視するのが妥当かというのは新たな問題である

 

・幸福感調査

半数は一日を全く不快なエピソードなく過ごす、ごく少数は一日の大半をひどい感情的苦痛で過ごす

米女性は子どもと過ごすのが家事よりも楽しくない

友人や知人と接したかどうかが、健康についでその日の感情を左右する決め手となる。幸せは、愛する人・愛してくれる人と過ごす経験と言っても過言でない

学歴は生活評価が高めだが、幸福感が高まるわけでない。高学歴ほどストレスを感じる

体調不良・病気は生活評価より幸福感に強く悪影響する

子供と一緒の生活も、感情的に相当な代償を払うが、生活評価へのマイナスは小さい

宗教活動への参加は、生活評価よりも幸福感にプラスであるが、憂鬱や不安感を減らすことはない

極度の貧困は生活における他の不運の影響を増幅する

これ以上幸福感を味わえないという所得の限界は、物価高い地域で年間世帯所得75000ドル。これを超えると、所得に伴う幸福感の増え方は平均0になる

 

結婚前後の生活満足度グラフが示される、結婚時がピークの三角

結婚する人は、離婚率の高さや幻滅の可能性を知っていたはずだが、統計が自分たちに当てはまるとは思っていなかった

結婚して程なく満足度が大幅に落ち込むのは、一般に色々なことに慣れて当たり前になり、最初の喜びが消えたからと解釈されてる

しかし、総合的な幸福度に正確に答えるのはよく考える必要のあるであり、恐らく想起しやすい少数のことに従って直感的に答えた可能性が高い

一日再構築法で既婚女性と独身女性の幸福度を調査すると全体的に差がなかった

既婚は孤独に過ごす時間が独身より少ないが、友人と過ごす時間も少ない

セックスする時間が多くて満足感があるが、家事・食事の支度・子供の世話の時間も多い

夫と過ごす時間が多いが、これが楽しい人もいるし、そうでない人もいる

 

一流大学に入った17〜18歳に「金銭的に豊かになること」は「さして重要でない」〜「非常に重要」の四段階でこたえてもらう

20年前に高所得を望んだ大半は望みのものを手に入れた

評価1だった人より2の人、2の人より3の人、の収入が多く、一段階で14000ドル

専業主婦になった女性でもそう、一段階ごとに夫の収入が12000ドル上がる

所得が生活満足度に及ぼす影響は、「金銭的豊かさ」を重視する人の方がそうでない人より大分大きい

「金銭的豊かさ」を望んで手に入れた人の満足度は大幅に高いが、望んでて得られなかった人は大幅に低い

これは他の目標でも同じ

 

「半身不随の人は、一日に何時間くらい憂鬱な気分になるでしょうか?」

事故後一ヶ月もすれば、起きている時間の半分以上は楽しい気持ちで過ごしている

時が経てば慣れるので、体のことを考えなくなる

例外は慢性的な痛み・耳鳴りやひどい鬱、体に注意が行く、惨めな考えが増殖する

良かれ悪しかれ新しい状況に順応することは、それについて考えなくなること

麻痺や結婚など長期的に持続するものは、それに遭遇した時だけ一時的に実感する状態

 

・リバタニアン(自由至上主義)とパターナリズム

経済主体が合理的であるという前提(の経済学)は政策の自由至上主義を導く

「合理的な人間は自由であるべきで、従って自分のことは自分で責任を持つべきである」

「個人の選択が他人に迷惑を掛けない限り、個人の選択の権利に干渉すべきでない」

「退職後に備えた貯金をしない人は、レストランで大きなステーキを食べて感情書に文句言う奴、と同じである」

一方、リバタニアン・パターナリズムは、市民が自分の長期的利益に資する意思決定ができるようにそっと押すことを認める

年金制度の加入をデフォルトの選択肢にしておくとか

チェック欄をマークするだけで非加入選べれば、自由侵害とは言えないだろう

ダニエル・カーネマン的には、人間ってのは色んなバイアスを持っているのが当然であり、完璧な合理性を持った人間なんて現実にはいないし、それを前提とする経済学に反抗するという立場なので、リバタニアン・パターナリズム派なわけだ

私は割と自由至上主義派だったけど、この本読んでかなりそれが和らいだな