まず、この著者のN. クォールズ‐コルベットはユング派心理学者の女性である
聖娼とは神殿娼婦のことだが、それについての歴史的にどうだったのか、みたいな説明は本の2割程度
個人的にはあまりユングの世界観を受け入れてないので、そちらの話にはそんなに興味が行かない
上手く扱えば、良いカウンセリングが出来るのだろう、とは思うけど
アシュタルテ、イナンナ、ミュリッタ、ハトホル、バスト、ヘスティア、ウェスタ、アフロディーテ・・・
このような女神崇拝と神殿娼婦は切り離せないもののようだ
キリスト教が台頭してきて、このような制度が潰れていったわけだが、それとともにこのような女神も消えていった、そして女性性も消えていった
キリスト教の構造は父と子と聖霊であって、そこに女性は入ってない
ということで、キリスト教は非常に男性性的である
で、その男性性優位な時代が今まで続いているのであるが、ニューエイジにおいて女性性というのが復活するべきだと言われてるわけだ
で、そこで古代の女神とか持ってくることが多いのだが、歴史的に言って、それらは神殿娼婦と密接不可分である、というのはちょっと頭の片隅に置いておいても良さそうな話だと思う
著者によると、神殿娼婦のポイントは性と聖(別にシャレではない)が結びついていることにあるという
神殿娼婦とは別に世俗の売春婦というのもいて、こちらは今の卑しいイメージと変わらない
しかし、神殿娼婦は社会的に地位や財産などがあったそうである
身分の高い既婚女性が、啓示を得るために、自ら神殿娼婦になったり
この本は全体として、聖娼という観念が無くなったために、いかに男・女・社会がダメになったか、という方向性のものである
このような主張に反感を持つ女性は多いだろうが、この本の著者も女性ということをお忘れなく