著者がこの本でやろうとしているのは、ドラッグを端緒にして、人間にはストレート思考とストーンド思考の二種類があって、今のストレート思考偏重の状態からストーンド思考をより用いた状態にすることで様々な問題が解決し社会が良くなる、ということを示すことだ
ストレートとストーンドというのはドラッグ文化用語で、「素面」と「酔っている」という意味である、元々はね
それを著者は意味を拡張しつつ使っている
・・・彼の考え方の6割くらいは、「物事のポジティブな面にフォーカスすればポジティブが拡大する、ネガティブな面にフォーカスすればネガティブが拡大する」という引き寄せの超基本的原理で包括できてしまう、と私は思う
◯ストレート思考
知性偏重、知性は形式に過ぎない、知性が私だという錯覚、直接体験軽視
五感、外部現実の偏重
物質主義、外的な物質的現実に原因を見ること(精神病は脳障害、ハイなのはドラッグ、伝染病は細菌)、外的な物質的現実と現実そのものの混同(これは意識と自我との混同の結果)
相違を見る、自己と他者の区別(著者はハチが嫌いであったが、LSDをやってる時にミツバチは自分と同類だという感覚を得た。すると、ミツバチの振る舞いが変わった、ように思われたそうだ。興味深い)
殺虫剤、抗生物質、対症療法
対症療法はコッホの原則に基づくが、コッホの原則は菌と動物の症状に相関関係を示すのみ
このような実験と、実験室の外の現実との関係は不明瞭
著者は全ての病気に精神的な面と身体的な面を見る、心の領域に原因があることを示唆
おできの原因はブドウ球菌とされているが、ブドウ球菌は皮膚の正常な共生生物であり、それとのバランスが問題であって、菌を殺せばいいというものではない
昆虫や菌を外的物質で退治しようとすると、耐性のあるものが出て来たりして、どんどん事態が悪くなる
これはドラッグ問題と同じであり、物質主義、ストレート思考の行き着く先
感染症は実際には精神的変化が端緒となって起こる
対症療法医は精神と肉体についての従来の考えを捨てない限り、精神的な方向の治療を発見できない
神経症の本質は相反する感情の同時体験だが、これを現代の精神医学はネガティブに見ている
社会を変えようとして政治的な力を使うこと、もストレート思考の現れ
◯ストーンド思考
直感、知性は帰納、直感は演繹
物事のアンビヴァレントな性質を受け入れる、LSDをやった時に寒さと暑さを同時体験、精神と肉体は同じ現象の二つの面、波と粒子
無限をポジティブに体験、ドラッグのパニック反応は無限をネガティブに体験してる、自我にとっては無限は脅威なのでネガティブな経験になる
自律神経制御、内臓感覚の鋭敏(チャクラと関係ありそう?)
バイオフィードバックはいいが、問題の本質は自律神経を制御できることでなく、意識と無意識を結ぶ通路を開くこと
これが、平常意識では閉じていて、ハイやトランスで開放される
非対症療法の本質は、病気の原因が無意識の心にあるという発想(彼はクリスチャン・サイエンスに触れているが、本当に言ってることがクリスチャン・サイエンスっぽい)
対症療法では患者を症状にフォーカスさせる、まじない師の儀式や踊りは患者の注意を病気からそらす(完璧に引き寄せ的発想)
パラノイア自体は中立である、ネガティブなパラノイアがあるならばポジティブなパラノイアも可能、パラノイアの本質はパターンを見る能力であり、それは治療すべき欠陥ではなく重要な能力
神経症は自我を強化することによって克服するのでなく、そのポジティバな面を発揮すべき、独創的才能
ポジティブな精神病、インディアン社会では精神病的体験のある青年をまじない師候補と考える
共有意識、テレパシー
とある部族で皆が幻覚剤を飲むという儀式がある、不思議なことに、参加者全員が共通の幻覚を見たりする(すごいね)