第九講 一 霊言現象の性質
俗に言うチャネリングだね
現在霊言の名霊媒と称せらるる英国のレオナルド夫人などに於ても、常に出現するのはその守護霊のフイダと称するもので、他の霊魂に関する用件は常にこのフイダがお取次ぎをするのであります。
現在名チャネラーと称せらるる米国のダリル・アンカなどにおいても常に出現するのはバシャールと称するもので、偶にシリウス人やグレイとかがしゃべることもあるんだけど、このバシャールがお取り次ぎをするのであります
第十講 二 ステイントン・モーゼスの自動書記
ニューエイジで言えば、「神との対話」風
第十講 四 トラバース・スミス夫人
ニューエイジで言えば、カシオペアン風
第十講 五 ヨハネスの霊界通信
答 霊魂に第二の死があるかという質問なのじゃな……。宜しい判り易く説明してつかわそう。元来生れる時に汝等は三つの部分から成立して居る。一つの部分は汝等の肉体である。この肉体というものは人格の重要部を保護する為めに外面を包被して居る一の衣服に過ぎない。第二の部分は汝等の所謂魂と称するものである。魂といい、心といい、つまり同一物であって、全然理智によりて支配される。従ってその働きはある程度に限られて居る。汝等が死に際して、汝等の鈍重な肉の衣服を放棄してわれ等の世界に入る時に、汝等の第二の衣服となるものはつまりこの魂なのである。汝等が魂の衣服を纒うて居る期間は長い地上の生活よりは遙かに長い……。その間に一つの境涯から他の境涯に移り、又一の界から他の界に移りて多くの経験を積む事になる。右の境涯というのはつまり汝等の所謂場所であると思えばよい。又界というのは、つまり智的等差でつけられる区別なのじゃ。斯くて学ぶにつれて一境涯から他境涯に移り、やがて或る程度に達した時に私達の置かるる境涯にまで達する。私達の境涯では過ぎ来し方が一眸の下に展開する。其以前には個々の境遇が隔離されて居て断片的の記憶しか許されないのである。が、私の居住する境涯に於てもまだまだ魂の衣服を纒うて居る。爰を通過した暁に初めて汝の所謂第二の死が来るのじゃ。その時はつまり一切の経験が完備し切った時で、きれいに魂の衣服を擲げ棄てると爰に初めて霊のみの境地が来る。霊の境地に働くものは只直覚のみである。その時の安息と平和とは到底想像の限りでない。
ふーん
別に転生について言ってるわけではないようだが、やはり神智学みたいな複数の体を持つと
で、高次の体においては記憶がより完全であるという思想、これはよく言われることだ
自殺は自分で自分の肉を喰うにひとしい。つまり自殺は魂に対する肉体の叛逆である。魂はこれが為めに長期の闇黒に服せねばならぬ。
ニューエイジでは、自殺しても地獄に落ちるわけでもないし、別にOKってノリが多いので、幾分差がある
答 霊界交通はむろん太古から存在して居たが、古代に於ては常に恐怖の観念が伴うことになって居た。これは必要から生れたもので、つまり彼等をして成るべく地上の実務に熱中させる方針であったのじゃ。さもないと余りに多く精神問題に心を奪われて、農業とか牧畜と言った実用向きの仕事を等閑に附したがる……。が、現代に於ては人間は最早全然農業や牧畜にのみ没頭する必要はなくなった。それ等よりも思想の方が一層重要視さるる事になった。
ふーむ、とすると人類の発達というのは霊界との二人三脚のようなものなのかな
で、人類の発達の程度に応じてチャネリングメッセージも内容が変わっていくと
しかし、そうであれば、基本的にこの19世紀後半〜20世紀前半の交霊会・霊界通信よりも20世紀後半〜のニューエイジ・チャネリングの方が内容が優れている、ということになるねえ
ニューエイジを否定して19世紀後半〜20世紀前半の交霊会・霊界通信ばかりを信奉するような態度の方がちょこっと世の中には居るみたいだが、そういう人達の考え方は内部矛盾・自滅することになる
19世紀後半〜20世紀前半の交霊会・霊界通信自体が、時代でチャネリングの内容変わるよ、と言ってるんだから
2012年を超えて、ニューエイジのチャネリングもなんか衰退してきたけれども、これから先新たにポスト・ニューエイジみたいな流れが来るかも知れんな
チャネリングってのはそういう流行性のもの、と考えるのがいいのかも