アラフォー賢者の気ままな引き寄せライフ~第四密度行ったら本気だす~

気ままにスピ雑談、多少は人が見て勉強になりそうなことを書いていく

(本)心霊講座 浅野和三郎、続続

第九講 一 霊言現象の性質

俗に言うチャネリングだね

現在霊言の名霊媒と称せらるる英国のレオナルド夫人などにおいても、常に出現するのはその守護霊のフイダと称するもので、他の霊魂に関する用件は常にこのフイダがお取次とりつぎをするのであります。

現在名チャネラーと称せらるる米国のダリル・アンカなどにおいても常に出現するのはバシャールと称するもので、偶にシリウス人やグレイとかがしゃべることもあるんだけど、このバシャールがお取り次ぎをするのであります

 

第十講 二 ステイントン・モーゼスの自動書記

ニューエイジで言えば、「神との対話」風

第十講 四 トラバース・スミス夫人

ニューエイジで言えば、カシオペアン風

第十講 五 ヨハネスの霊界通信

答 霊魂に第二の死があるかという質問なのじゃな……。よろしい判り易く説明してつかわそう。元来生れる時に汝等は三つの部分から成立してる。一つの部分は汝等の肉体である。この肉体というものは人格の重要部を保護するめに外面を包被してる一の衣服に過ぎない。第二の部分は汝等の所謂魂と称するものであるソールといい、マインドといい、つまり同一物であって、全然理智リースンによりて支配される。従ってその働きはある程度に限られてる。汝等が死に際して、汝等の鈍重な肉の衣服を放棄してわれ等の世界に入る時に、汝等の第二の衣服となるものはつまりこの魂なのである。汝等が魂の衣服を纒うてる期間は長い地上の生活よりは遙かに長い……。その間に一つの境涯スフィヤから他の境涯スフィヤに移り、又一のプレーンから他のプレーンに移りて多くの経験を積む事になる。右の境涯というのはつまり汝等の所謂いわゆる場所であると思えばよい。又界というのは、つまり智的等差でつけられる区別なのじゃ。くて学ぶにつれて一境涯から他境涯に移り、やがてる程度に達した時に私達の置かるる境涯にまで達する。私達の境涯では過ぎ来し方が一眸の下に展開する。その以前には個々の境遇が隔離されてて断片的の記憶しか許されないのである。が、私の居住する境涯においてもまだまだ魂の衣服を纒うてる。ここを通過した暁に初めて汝の所謂いわゆる第二の死が来るのじゃ。その時はつまり一切の経験が完備し切った時で、きれいに魂の衣服を擲げ棄てると爰に初めて霊のみの境地が来る。霊の境地に働くものはただ直覚のみである。その時の安息と平和とは到底想像の限りでない。

ふーん

別に転生について言ってるわけではないようだが、やはり神智学みたいな複数の体を持つと

で、高次の体においては記憶がより完全であるという思想、これはよく言われることだ

 

自殺は自分で自分の肉を喰うにひとしいつまり自殺は魂に対する肉体の叛逆である。魂はこれがめに長期の闇黒に服せねばならぬ。

ニューエイジでは、自殺しても地獄に落ちるわけでもないし、別にOKってノリが多いので、幾分差がある

 

答 霊界交通はむろん太古から存在してたが、古代においては常に恐怖の観念が伴うことになってた。これは必要から生れたもので、つまり彼等をして成るべく地上の実務に熱中させる方針であったのじゃさもないと余りに多く精神問題に心を奪われて農業とか牧畜と言った実用向きの仕事を等閑に附したがる……。が、現代においては人間は最早もはや全然農業や牧畜にのみ没頭する必要はなくなった。それ等よりも思想の方が一層重要視さるる事になった。

ふーむ、とすると人類の発達というのは霊界との二人三脚のようなものなのかな

で、人類の発達の程度に応じてチャネリングメッセージも内容が変わっていくと

しかし、そうであれば、基本的にこの19世紀後半〜20世紀前半の交霊会・霊界通信よりも20世紀後半〜のニューエイジチャネリングの方が内容が優れている、ということになるねえ

ニューエイジを否定して19世紀後半〜20世紀前半の交霊会・霊界通信ばかりを信奉するような態度の方がちょこっと世の中には居るみたいだが、そういう人達の考え方は内部矛盾・自滅することになる

19世紀後半〜20世紀前半の交霊会・霊界通信自体が、時代でチャネリングの内容変わるよ、と言ってるんだから

2012年を超えて、ニューエイジチャネリングもなんか衰退してきたけれども、これから先新たにポスト・ニューエイジみたいな流れが来るかも知れんな

チャネリングってのはそういう流行性のもの、と考えるのがいいのかも