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翻訳者の方、ありがとうございます
いままでサイコパス関連の書籍がそこそこ出ているが、個人生活におけるサイコパスの害がテーマであるものが多いように思う
一方で、これは国家政体におけるサイコパスの害がテーマであって、私はいままでこのようなテーマのものは読んだことなかった
内容は非常に興味深く、素晴らしいものだと思う
まあ、それはそれでいいんだけどね
さて、この本が出版されたのが2006年だそうだ
で、今は2019年、なので13年程経ったのかな
世の中変わっただろうか?
私の感覚から言えば、確かに以前よりかはこのような事柄に関して聡い人が増えたというのはあると思う
しかし、それは依然として少数であり、世の中大して変わってないって気がするんだな
「1つの将来的ビジョン」という章において、著者の考える将来像が書かれている
そこを読むと、この著者はどうやら本が出版されて、このサイコパス政体に関する知識が世の中に出たからには、急速に世の中が変わっていきよろしい世の中が実現されるだろう、と考えているみたいだ、と思われる節がある
うーむ
この著者はマルクス等をスキゾイド・サイコパスと言い、その著作を空想的だと言うけれど(そこに私は文句ないけど)、「1つの将来的ビジョン」ってのも同じくらい空想的ではないか、って気が私はしちゃうなあ
まあ、実現しないとも言い切れないけど、実現するとしても遠い遠い未来の彼方かな
とりあえず、途方もない時間と、途方もない労力が要求されそうだ、って気がする
陰謀論とかでも、この知識が世の中に広まり周知されれば、世の中ぐるんと変わるのに・・・、ってのがあるだろう
そして、今の所、そういうのが成功した試しがないんだよな
陰謀論者の人はそういう知識を周知させようと長年色々頑張ってる、と思うんだけど
だから、この本のテーマも同じような流れを辿りそうな気がする
一方で、この本を個人が読むことで、その人がサイコパスに牛耳られた組織・国に圧迫されている場合ならば、本にも書いてあったが、セラピー効果があるだろう
というのも、何が何だが訳が分からず圧迫されているのよりかは、圧迫が変わらないとしても、訳が分かっていれば、緊張がほどけるからだ
そういう個人が多少救われる、・・・というのが、今の所、そして当分は、この本の限界ではないか、と思うんだよね
じゃあ、どうするよ?
って考えた時に、私が思いつくのは、やっぱり引き寄せなんだよねえ
結局、これらの発想は「社会が変えよう」という発想なのだが、社会という他者の集まりであるから、「他者を変えよう」という発想だ
人間関係の悩みとか見れば分かることだが、大体は「妻・夫を変えよう」とか「子供を変えよう」とか「親を変えよう」って発想でしょ
そして、それが上手く行ったの?、って話
そんな他者の一人や二人すら満足に変えられないで悩んでるのに、社会という他者の集まりなんてどうやって変えることが可能だと思えるのだろうか?
これはサイコパスをまともな人間に変えよう、ということよりも、無知な大衆を啓蒙しよう、ということに大して専ら言ってることね
だから、そんなことを考えるよりも、「サイコパスが支配している世の中だろうと、私は私の欲しいものを引き寄せるパワーがあるんだ!」とか考えた方が建設的かな、と思っちゃうな
一先ず、この本を読んでその知識を自分の役に立てようってのはいいんだけど、この本の知識を広めて社会を変えようって発想は厳しい、という話
追:
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うーむ、私としては、カシオペアン自身が「哀れむ者こそ哀れだ」と言ってること、ローラの経験というのはクズに要らん同情をして自ら傷口を広げたことである、というのを念頭に置いて、これらの記事を読んだほうがいい、と思う
つまり、カシオペアンは、同情に歯止めをかけるべき的な方向のことを言ってるってことね
追2:
スキゾイド・サイコパスの作る理論は、彼らが現実から乖離しているから空想的にならざるを得ない、というのはいいとする
マルクスやらマキャベリやら・・・、とにかく、ここで言ってるのは道徳否定的な世界観だろう
しかし、とても空想的な道徳肯定的な世界観ってのもあるよね
例えば、カントの「永遠平和のために」とかさ
スキゾイドとは、分裂病質、分裂気質ということだが、カントはもろにそのタイプだとかいう指摘もあるしねえ
でも、カントは別にスキゾイド・サイコパスではないだろう、別に悪いことしてないし、世界に吹聴したわけでもないし
とすれば、スキゾイド・正常人とでも言うべきカテゴリーが存在する、ということだろうか?
それでも、空想的であって、現実から乖離している、というのはあると思われるが・・・