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このタトルのチャネリングに着目して日本語で紹介してくれたというのは、個人的にはセンスあるなと思う。
しかし、ちょっと時代の先を行き過ぎたのだろう。
人気がないかな・・・。
このラジとかいうのによれば、次の五つのチャネリングは同じ基礎に基づいた連続したものであるという。
1.科学と健康
2.ユーランシャの書
3.奇跡のコース
4.(チャネラー「タトル」を通してのラジによる)卒業
5.出る予定(4が出てから間が空いたのでもう出てる可能性はある)
1が出たのが1875年、4が出たのが1991年。
このように期間を開けて、全く違う人が同じような基礎の上にある思想をチャネリングする、という形態はこれ以外に私は聞いたことがない。
非常に珍しいと思う。
さて、これを聞いた私はコースを読んで感銘を受けたので、「科学と健康」も読みたくなった。
それで、調べてみると、古書は売ってないが、本家のクリスチャン・サイエンス教会で電子書籍が出ている。
これを買って、読んだ。
そこそこ昔のことだ。
さて、コースにはこんなことが書いてある。
聖書の創世記2章21節において、神がアダムから肋骨を抜いてエバを作る時に、神はアダムを深く眠らせた。
そして、それ以降、聖書のどこにもアダムが起きた、とは書いてない。
ゆえに、創世記2章21節以降、ユダヤ人のあれやこれやの歴史、福音書、そして現代の我々に至る全ては、アダムの夢でしか無い。
現実においては、アダムはエデンの園で今現在もスヤスヤと寝てるだけである。
私はこれを読んだ時に、「えっ、こんなんアリ?」と思ったが、まあ確かにアダムが起きたとはどこにも書いてないってのは認めるしか無い。
で、この普通のクリスチャンからすれば噴飯物の解釈が、きちんと「科学と健康」に書いてあることを私は確認した。
それで満足。
補1:
一般的に、クリスチャン・サイエンスはニューソート系として考えられているだろう。
ニューソートとは、私の理解では、「思考は一種の物質である」みたいな発想、思考の力で現実を作り出すみたいな発想、に基礎を置く思想である。
そもそも「クリスチャン・サイエンスってなんぞや?」って読者は思っているかも知れない。
このキリスト教系新宗教は、「神は病気なんぞ作らなかったんだ、病気は幻想であり、存在しないんだ!」と強く強く思うことによって病気が治るぞ、というような感じで流行ったものである。
何時の時代にも主流医学から見放された人というのはいるからね、そういう人はよく分からん民間医療や宗教以外に行き場所ないというお決まりパターン。
しかし、とすれば、「クリスチャン・サイエンスの目的・目標って、病気治して、健康になって、人生をエンジョイすることなの?」ってなりそうだ。
そして、もしこれがそうならば、クリスチャン・サイエンスは正にニューソートだね、で話は終わるのだが、「奇跡のコースと繋がってるって話だけど、奇跡のコースの目標は世界の消滅でしょ?健康になって人生をエンジョイするってのと方向性が真逆だよね、おかしくない?」と賢明な読者の皆様はツッコミをするだろう。
それに対して「科学と健康」では、病気を治すというのはこの道の序であり、本来はもっと深い意味があるんだ、ということが書いてある。
それが、世界の消滅だ、とは書いてないけどね。
補2:
「科学と健康」の科学ってなんだよ、と思う人がいるだろう。
この場合、科学とは、エディが「病気は本当は無い」と思うことで病気が治るということを実証した、位の意味合いなんだろう。
こういうオカルトめいた分野では、「科学」とは何か理解していない人が多い。
そこらへんは笠原敏雄の本でも読むのがよろしい。
例えば、「超能力は科学か?」という問いはナンセンスである、一方で「超能力を科学的に研究することはできるか?」という問いは有意味であるし、しかもできると答えられる。
クリスチャン・サイエンスの主張も同様に扱うことができるだろう。