アラフォー賢者の気ままな引き寄せライフ~第四密度行ったら本気だす~

気ままにスピ雑談、多少は人が見て勉強になりそうなことを書いていく

奇跡のコースの「許し」の意義

昔のスターピープル(というスピ系雑誌)を見せてもらったら、翻訳している大内博さんの記事が載っていた。

細かいところは忘れたが、「許しによって、人は間違いを認めつつも新しく良い方向に歩み直すことができる。だから許しってのは素晴らしい」みたいな内容だったんだよね。

で、まー、私見で言っちゃうと、根本的に全く奇跡のコース理解してないねってのが如実に現れている。

翻訳者なのに・・・。

 

まあ、奇跡のコースってのはね、三大難解チャネリング本の一つだからね、理解できないのは理解できないでしょうがないんだけどね。

 

でも、まあ、巷に奇跡のコースの類書が出てるけど、余裕で明後日の方向に行ってて、しかも人気があって売れているらしいっていうのが、まあ、世の中凄まじいなと。

マリリン・ウィリアムソンの「愛への帰還」とかジェラルド・G. ジャンポルスキーの「愛とは、怖れを手ばなすこと」か「ゆるすということ」のどっちか(忘れた)とか、私は読んだ。

心温まる、美しい内容の本だとは思うよ。

でもね、この人達は奇跡のコースを明らかに理解してないと私は思うので、これを奇跡のコースに立脚した内容のものとは考えないほうがいい、と私は言わざるを得ない。

奇跡のコースをたまたま上手く誤解することによって、心温まる、美しい本が書けた、という感じだね。

でも、この人達は「愛って素晴らしいね、許しって素晴らしいね」って内容のものだったら、分厚く詳細で論理的なものでなくて、薄っぺらないい加減なもので良かったのであろうから、わざわざ奇跡のコースでインスピレーション得なくてもいいだろうに、とは思う。

 

他方、お勧めの奇跡のコースの参考書と聞かれれば、ゲイリー・レナード「神の使者」だ。

ただ、ゲイリー・レナードの新しいの3冊くらいは読んでないので、彼が最近どういうことを言ってるのかは分からない。

あと、注意点として、この本はケネス・ワプニックを推しているが、彼はヘレンとウィリアムの死後に解釈を勝手に変えたっぽくて、参考にするとまずそう。

この本の中ですでに、コースを曲解するバカどもがうじゃうじゃ出てくるだろう、と書いてあるのは慧眼だ。

私の勝手な感覚だと8割方、「神の使者」はコースに忠実なんじゃないかな。

マリリン・ウィリアムソンやジェラルド・G. ジャンポルスキーだと、おまけして2〜3割ってところか。

 

というのを踏まえつつ、私がコースを読んだ所の許しの意義を書いてみよう。

コースの目的は、世界の消滅である。

さて、なぜ世界が存続しているのかと言えば、日々我々が「世界はリアルだ」という思考をしているからだ。

「世界はリアルだ」という思考が眼前にあるこの世界を新たに創造し、それを見てまた「世界はリアルだ」と考える、という循環によって世界が存続している。

とすれば、「世界はリアルでない」という思考をすれば、世界を存続させる力はなくなっていき、世界は消滅するはずだ。

 

ここで、具体的に「世界はリアルだ」という思考とはなんだろうか?

それは何かに対して恐れたり、怒ったりすることだ。

そういうネガティブな反応が出るのは、その対象がリアルだと思ってるからだ、つまり世界をリアルだと見ているのだ。

 

同様に、具体的に「世界はリアルでない」という思考とはなんだろうか?

それは「許し」である・・・というか、コースの言う「許し」ってのは通常の意味の許しを超えているが。

コースの許しとは、例えば、私が理不尽に危害を加えられたことに対してそれが無かったと思うことである。

こう言ったらいいだろうか。

友人が私から借金をした、返済する時になっても返してくれないという例を考えよう。

友人の経済状況があまりにも悪いので、取り立ては無理そうだ、そこで私は債権を放棄した・・・これが通常の意味の許し。

そもそも借金は無かったから(あったんだけどさ)、友人は返してくれなくて良い、何も返すべきものはないと考える・・・これがコースの許し。

例えば、Aさんに包丁で刺された夢を見たとして、Aさんには傷害の罪があるだろうか?

Aさんは現実では何もしてないのだから、Aさんに罪はないのである。

さて、コースはこの物質世界が現実ではなくて夢のようなものだとするんだから、この物質世界で誰かが私に危害を加えたとしても、夢の中で危害を加えただけであって、現実に危害を加えたのではないのだ。

それを認識することが、コースの「許し」だ。

他人の振る舞いに対して怒っているのをやめる、という表面上の心理の動きにおいてのみ、通常の「許し」とコースの「許し」ってのは一致するね。

 

・・・「許し」ってのはコースにおける核の概念だから、これを見誤ってるようじゃ話にならんよ。

 

追:

奇跡のコースってのは一切の妥協なく論理的に書かれていて、原理主義的なものだと思う。

だから、その内容を歪める奴というのは非常にたちが悪い。

にもかかわらず、コースの原理から言えば、そういう連中ももちろん許さなければならない。

だから、コースは、その内容を歪めて世の中に誤解されるようにする輩を止めることができない、止めるような原理を内に持たない、と言えるだろう。

そこら辺が、この教えの限界かな。