アラフォー賢者の気ままな引き寄せライフ~第四密度行ったら本気だす~

気ままにスピ雑談、多少は人が見て勉強になりそうなことを書いていく

感謝と「お返し」

https://tocana.jp/2019/03/post_87266_entry.html

 

そうだ、感謝の気持ちはやばいんだ。

それはそれとして、この記事を引き寄せ的に見てみよう。

 

感謝はエイブラハムの22段階の感情スケールの一番上、そして、鬱は一番下。

感謝してる人の調子がまずくなったとして、情熱、熱意とかになるだけで、いきなりガクンと鬱になるってのは非常に不自然で起こりにくかろう。

だから、感謝してる人は鬱にならないのである。

ちなみに、一応言っておくが、鬱の人に「感謝しろ」というのは本来無理な話である。

何段階すっ飛ばさせるつもりなのだろうか。

鬱の人に言うべきは、「不安になれ、自信喪失しろ」ということになる。

 

感謝の手紙を書くというのは、気持ちを表すこと自体に要点があるのでなく、要点は感謝できることを探すという態度にある。

前の週に体験した“感謝”を5つ思い出して書き留めておく、というのはエイブラハムも似たようなワークを勧めている、感謝できることを探そうというポジティブな態度がよいのだ。

 

 で、問題はこれ。

感謝は義務感や罪悪感に近いとか、お返ししないと罪悪感が強くなるとか。

で、罪悪感って下から二番目なんだよね。

これを一番上の感謝と混合しては駄目。

感謝してると運が良くなるが、罪悪感を感じてると運が悪くなる。

例えば、ペンでも落とした時に他人に拾ってもらって、返しの日本語の選択としては二つある、1「ありがとう」、2「すみません」。

この時、2を選んだ人は、本来感謝で処理できる場において、罪悪感を選んだのである。

このような人は運が悪い。

 次に、お返し論に行こうか。

この記事だけでなく、なんか「感謝しろ」ってのに「お返ししろ」とか「返恩しろ」っていうのを付け足して説く、なんというのかねえ、スピリチュアル・ティーチャーみたいなのがいるでしょ?

これが駄目、引き寄せ的にはね。

まず第一に、感謝ってのはまず自分が「感謝できることを探そう」という態度にあるからできるものなのよ。

どんな恵まれた環境にいても、愚痴を言おうと思えばいくらでも言えるってのが人間なの。

第二に、誰が見てもすごくラッキーってな事が起きたとして、引き寄せ的にみれば、それを引き寄せたのは自分だから、自分が自分にしたことに過ぎないんだ。

だから、お返しするって言っても、「自分にお返しするの?もうラッキーを自分に与えてお返ししたけど」って話になるんだよね。

さらに逆に考えれば、「お返ししろ」ってのは嫌なことが起きたら、それをやった他人なり、(特定できる他人というのが無ければ)神様なりを恨むつもりなのかね?

ここで、外界に起きた現象について、自分で責任取るか、自分以外の誰かに責任なすりつけるか、ってことの選択がある。

このニューエイジのご時世には、自分で責任取るって選択以外ないと思うけどね。

スピリチュアル・ティーチャーのような立ち位置にいる人が言ってたりして、「あれっ?」ってなる。

 

 ラストに、ポジティブな感情が社会を変えるっての。

引き寄せの大原則に、他者をコントロールすることはできないってのがあるんだよね。

だから、私がポジティブな感情を選んだとしても、他人がポジティブな態度になるかどうかはあくまでその人の自由意志である。

ただ、私がポジティブな感情を選んだら、それにマッチするようなポジティブな人が私の周りに増えるだろう、というのは言えそうだ。

その時、自分がどっかの会社に努めていたとして、そこの会社の人達がポジティブに変わるのか、もしくは自分がポジティブな人達の多い会社に移るように導かれるのか、等ということは分からない。

 あと、瞑想で社会を変えるってのはねえ・・・この前のコブラの瞑想はめっちゃ大成功だったらしいけど、うーん、そんな社会が変わったような実感はなあ・・・。

 

追:

https://ja.wikipedia.org/wiki/O-リングテスト

Oリング実験をやってみよう。

1:「ありがとう」と繰り返し言いまくりながら、Oリングを引っ張る。

2:「すみません」と繰り返し言いまくりながら、Oリングを引っ張る。

1ではOリングは離れないが、2だとOリングは離れるだろう。

だから、「ありがとう」と言っとくのが得。