とあるスピ系の会に行った時に、ある人が内観で変わったという話をしてくれた。
その時、私は「内観って、なんか自分を見つめる感じの瞑想かな」とか漠然と考えていた。
親のことが思い出されてどうのこうの・・・、とにかくその人はそれによってポジティブに変わった、ということを聞いた。
で、後で調べてみると、どうも内観療法というものだったみたい。
笠原敏雄の本を読んでたら、内観療法に関して触れた所があって、「ふーん、じゃ、この際一冊くらい読んでみるか」と思って読んで見る。
私見としては、こりゃ諸刃の剣だな、と。
ちょいと調べれば分かることだが、内観療法の元をたどると、浄土真宗のとある一派の「身調べ」というものに行き着く。
で、その「身調べ」というのは、断食・断眠・断水して、自分の行為を振り返り、地獄行きの種が多いか、極楽行きの種が多いかを調べ、その際に途中では親が来ても会わせないという閉鎖的なもので、一種の悟りのような体験をして、阿弥陀仏の救済を確信するというもの、なのだそうだ。
これを、常識的立場から俯瞰すると、要するにカルトの洗脳手法なわけである。
もちろん今の内観療法においては、苦行性・閉鎖性を薄めて、万人向けにしてある。
で、自分の行為を調べるのだが、「1:してもらったこと、2:して返したこと、3:迷惑かけたこと」を思い出していくのである、他に「いままでの養育費の算出」、「いままでにした嘘と盗み」。
考えることは、「相手に借りはないか」「相手はともかく自分はどうであったか」「相手はどのような気持ちだったか」。
まとめると、自分の非を一方的に調べるのであって、自分の過去を自分と相手で公平に調べるというものではないんだよね。
相手に「されたこと、迷惑をかけられたこと」は調べない。
例えば、
虫の居所が悪かった時に祖母が切ろうとしていた漬物を捨ててしまった。
普段優しい祖母も怒り、私をねじ伏せて、口の中に捨てた漬物を突っ込んだ。
祖母もどんなに悲しかったことか。
そうして物の大切さを教えてくださったのに、口の中に汚いものを入れられたことを恨んでいました、お許しください。
みたいな感じの思考へともっていく。
これって祖母も人格未熟なんじゃないの、みたいなことは基本的に入れない。
これを始めた吉本伊信は、罪悪感が深くないと深く内観が出来たとは言えない、みたいなことを言っている。
というわけで、そもそも、その人に罪悪感を浮かび上がらせる、という設計。
元々が浄土真宗で、悪人正機説で、自分が悪くて悪くて悪いという自覚をするほど偉い、みたいなのがあるんだろうね。
でも、罪悪感というのは他者を支配する道具になるんだよ。
本でも、娘に「自分が母親を傷つけて育ったのだ」という罪悪感を植え付けて支配する母親像というのが紹介してある。
また、この本では意図的に愛と言い換えてると白状してるが、「恩」の考え方がこの療法は強い。
恩というのは、主君→臣下、親→子、という上下関係ありきのものだ。
で、内観が学校や矯正施設に導入される時に、「封建道徳の押し付けだ」とする空気もあったそうだ、健全な反応だね。
また、自分の悪さには目を向けるけど、他人の悪さには目を向けないようにする、という態度を徹底しようとする人間がいた場合、こいつはサイコパスにとってすごくおいしい餌食になること請け合いだ。
だから、内観療法というのはブラック企業の社員研修として機能するだろう。
ちなみに、あるカルトに入っていた人から聞いた話によると、下っ端信者は本当にいい人、人格の出来た人のようである。
自分の欲は出さず、せっせと労働して、その成果を皆(組織)のために寄付する。
そのような、俗物にとっては楽しみなく辛い生活に、清々しさや幸福感を感じている。
それはいいんだけど、結果としては組織の偉い立場にいるサイコパスを肥え太らせるだけ、っていうのがあるんだけどね。
もちろん、本人が幸せと言うんだったら、横槍入れる話でもないんだけどね。
言ってみれば、この療法の成功というのは、カルトの下っ端信者の幸福感なのだろう。
けど、馬鹿にはしてないよ。
世の中苦しいって人はたくさんいるけど、そのような苦しい生活の中で幸福を感じられるようになったら、やっぱいいだろう。
あと、私の個人的な考えだと、宗教(スピもそうかな)やって得る幸福感ってのは、こういう方向性のものなんだよ、大体はね。
人によっては、内観療法をやってる中で、自分の罪深さとか親なり周りの人への感謝なりで、号泣したりするという、カタルシスがあるみたいだよね、そういうのも多くの宗教に通じてるかな。
なので、サイコパスから支配されそう、という部分を上手く避けれたならば、相当いい療法と思うな。
また、犯罪者とか非行少年に用いるのとかは適してると思うね、つまりすでに他人を支配し奪おうって方向に人格が傾いている人には。
あんまりポジティブな面には触れてないが、実際にこれで、心身症がよくなった、アル中を克服した、家庭崩壊の危機を免れた、他の療法やったけど治らなかったようなものが治った、とかなんとかかんとか、という報告があるようだ、多分それはそれで本当なんだろう。
笠原敏雄の心理療法の抵抗の克服のどうのこうの、というのにも自己反省という点で内観療法は通じていて、人格発展が望めるのだろう。
だから、効くには効くってことで素晴らしい面もあるけど、危ない面もあるってことで、こりゃ諸刃の剣だな、と。