アラフォー賢者の気ままな引き寄せライフ~第四密度行ったら本気だす~

気ままにスピ雑談、多少は人が見て勉強になりそうなことを書いていく

「サイコパスは悪い奴だ」と考えるのは自己奉仕的である

翻訳者の方には感謝、感謝あるのみ。

 

陰謀論的には、この世はサイコパスが支配するどうしようもなく狂った世界だが、こちらの本はサイコパスがいかに世の中全体を不幸な方向に汚染するかというテーマのもの。

この本が、どっかの心理学や社会学の教授とかに取り上げられるのではなく、チャネラーによって取り上げられる、っていうのが世の中来ちゃってるナって感じ。

 

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人間の本性が持つ、この共通の弱みと、通常人の「世間知らずさ」を熟知していることが、多くのサイコパスや性格病変(チャラクテロパス)に見いだされる特殊知識の一部を形成している。

詐欺師は、詐欺のカモになるようなタイプの人間を非常に上手く見分ける。

そういう天才を持っているのだが、これはその人が生まれつきのサイコパスであって、子供の時からサイコパス的特殊知識を積み重ねているためだろう。

 

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私達が利己主義と呼ぶのは、概して無意識のうちに条件づけられた態度のことであり、私達は利己主義の故に、本能による反射や、幼少期に獲得した想像と習慣、そして個人的世界観までも(自分だからこそ手に出来たと)過大評価するのだ。 

利己主義者は他人を自分の尺度で測り、自分の概念と経験的なやり方を客観的な基準として扱う。

彼は他の人々に彼がしているのと全く同じように感じさせ、考えることを強いたいのである。

ここでいう利己主義とは、ラー文書に出てきてカシオペアンにも受け継がれている所の「自己奉仕VS他者奉仕」という図式における自己奉仕の概念と一致するだろう。

自己奉仕的であるということは、現実をそのまま客観的に見ないで、自分の好きなように歪めて主観的に見るのである。

 

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「本質的サイコパス」という現象を道徳的に解釈する傾向は、識別可能な基層が特定の本能の中にコード化されている人間本性の一側面である

すなわち、人間は通常、道徳的な悪と生物学的な悪とを区別することができない。 
この傾向は、私たちの生来の反射が理性からコントロールを引き継ぐときはいつでも、すなわちヒステリックな状態において、そして利己主義の強さに比例して甚だしくなる。 

つまり、サイコパスは単なる自然現象であり、それ以上でもそれ以下でもない。

サイコパスが生まれ人間社会に害を為すのは、害虫が湧いて農作物を駄目にする、というのと本質的に同じこと。

それを未熟で利己的な、つまり自己奉仕性の強い人は、悪いことを人が意志においてしている、と見るのだ。

私達は道徳的解釈を施す結果、こうした要因が自分たちの中や他人の中でポネロジェニックな活動を続けることもまた許してしまうのだ。

サイコパスが悪いことをするのは単にそういう動物であるからなのだが、それを悪い人だと認識すると教育し直すとか、カウンセリングするとか発想が明後日の方向に行ってしまう。

ニューエイジの一派にサイコパスに「愛と光」を送りましょうってのがあるが(カシオペアンのチャネラーのローラはニューエイジと言えば「愛と光」しか頭にない馬鹿共って考えてそうだけれども、個人的にはニューエイジの一部と考える)、この文脈から言えば、大分ヒステリックで利己主義的な連中ということになる。

人間の行動を道徳的に判断するという人間共通の傾向に従うこと以上に、人間の魂を害し、客観的に現実を理解する能力を私達から奪うものは無い。 

ここはビビっと来た。

人間の行動を道徳的に判断するということ以上に自己奉仕的な態度は無い、と言い換えられるのではなかろうか?

さらに言うと、二本足で立って言葉をしゃべるからといってそいつを人間だと判断する、のは自己奉仕的ということだな。

それゆえ私たちは、悪の起源の一方的かつ道徳的な解釈は常に間違っていて不道徳であると考えるとしよう。

この一般的な人間の傾向とその結果を克服したいという考えは、ポネロロジー(悪学)全体を貫く道徳的動機と見なすことができる。 

この逆説もビビッと来るね。

 

追:

カシオペアンでは人類の半分は魂入ってなくて、もう半分は魂入ってる、と考える。

で、それはどうも、ネアンデルタール人クロマニョン人が交配したことが原因である、らしい、多分。

つまり、ネアンデルタール人には魂入ってなくて、クロマニョン人には魂入ってる、というDNA構造だった。

それが交配することによって、現代人類は魂入ってない奴と魂入ってる奴がぐちゃぐちゃに入り混じってしまった。

それを前提に、ネアンデルタール人クロマニョン人の大きな違いを一つ見てみよう。(ちなみに私はスティーヴン ミズン著「心の先史時代」を読んだ)

それは宗教で、クロマニョン人はあれやこれやを擬人化してそれを神とすることをやる、一方でネアンデルタール人にはそれがない。

ちょっと忘れたけど、例えば獲物の鹿を神としたり、風や雨を神としたり・・・。

擬人化するというのは、つまり、行動を道徳的に判断するという人間共通の傾向、のことだと言って良いだろう。

人間が人間らしくある根本というのが人間社会の幸福の落とし穴になるというね、根が深い話だなと。