3:振り子(リアリティ・トランサーフィン)
「振り子」という概念はソートフォーム(思考形態とでも日本語では訳すしかないか)のことである、けど残留思念と考えると分かりやすいと思う。
例えば、自殺の名所というのがある、なんかそこで自殺する人が多いってやつだ。
これに関して、オカルト的に以下のような説明が出来る。
まず自殺者第一号がそこで自殺する、そうすると「死にたい」という思考がその場に残るというんだな、もはやその思考をしてる本人はいないのに。
そして自殺者第ニ号はなんかその残留した「死にたい」という思考に引っ張られて、そこで自殺する、そうすると「死にたい」という思考が二人分になってその場に残る。
それを繰り返す内に、別に自殺願望があるわけでもない人がそこに行くだけで、なんか不思議と「死にたい」ような気分になったりする。
そういうのがソートフォームである。
ポイントは、1:思考が人間の手を離れて独立すること、2:その思考は自らを長く生き延びれるように、強く影響できるように、と自らを成長させようとしているかのように動くこと、3本来は思考というのは人間が思考するものなのだが、ソートフォームが強くなれば思考が人間を思考させるようになる。
例えば、自殺者第一号がそこで自殺したとしても、第ニ号が出なければ、残留思念はまだ弱いのでそこで希薄になり消えていく。
逆に、数十人そこでやってるとなると、その勢いは止めにくい。
そして、ボケーっとしてる人はそこに行くと、衝動的に自殺してしまう、それでまた思念は強くなる。
人間社会における、「場」というものは凡そ、そのようなソートフォームである。
というのも、人間社会における「場」というのは、人間の思考によって生み出されているからだが。
例えば、過労死する人がいる。
会社というのは利益をあげるための場だ、そこにいる人は「利益をあげる」というソートフォームに捉えられやすい、ということになる。
過労死する人も、元々は生活をするためにその会社にいるのだろうが、いつの間にか「生活する」よりも「利益をあげる」という思考に頭を支配されてしまった、ということだ。
そのようにして、ボケーっとしてる個人というものは場に支配されるのである。
このような観点から、ミルグラム実験を見ることが出来るだろう。