さ
こうやってあなた方の夢がたくさんあるということを知った上で話をするならば、甘えん坊さんの夢というのがMさんの見ている夢なんですね
だから、私達は「甘えん坊こそがこの世界の実体だ」という言い方をしたことがありますが、これは正直言って嘘、嘘ではないんだけれども、これは作られた話なんですね
なぜなら、あなたが「甘えん坊こそがこの世界の実像だ、実相だ」と規定したとしても、それもまた夢
だけれども、実際のものとして感じられているならば、それはそのような働きをするんです
だからこそ、この世界の中では「愛ですよ」と言ってみたり「空だ」と言ってみたり、色々な言い方をするのは全てその夢の一つだ、ということなんですね
結局の所、本当にあなたはこの世界の主、なんですよ
そして、私達のこの表現を鵜呑みにするならば、本当にあなたの世界はその通りに働きをするしかないんです
だからこそ、あなた方の中には、まるで無関係のような物語が本当にたくさんあるんですね
どうしてあなた達の中には、これほどたくさんの人間・人種・文化・宗教・死後の世界があって、何もかもが無茶苦茶に重なり合っているんじゃないですか
これをどうして一つの世界と見なすことが出来るんでしょうか
このことを持ってしても、あなた方の世界はどれだけ私の世界なのか、ということの証明を持っていると私は言います
こうして、とにかくあなたは「この世界の主である」ということを肝に命じてくだされば、本当にラクな世界が訪れるんです
でも、ここにきてMさんがよく言うのは、「いつもそう言うけどね、それでも私の思い通りには全くならないじゃないか。『この世界には私しかいない、私がマスターだ、主だ』というような人はいても、その人の思い通りになっているとは思えないぞ」と言うんですね
ここがポイントと言えばポイントなんだけども、本当にあなた方の望んでいる世界ではないのかもしれません
これを突き詰めて考えれば、甘えという答えはどこにあるのか、ということなんです
これは、あなたという一つの個人、的な個人・・・ではない、もっと大きな個人が成し得た物語だとすれば、・・・簡単に言えば大我という言い方をしてもいいんです、その個人が現しているとするならば、それこそが思い通りの世界が展開されているんですね
「じゃあ、小我との関係はどうなんだ?」といつも言うではないですか
「このギャップをどう埋めればいいのか」といつもMさんは聞くわけです
しかし、ギャップなどないんですよ
だって、小我は「私はこんなもの作った覚えがない」と言いながら、大我は「いや、これは私の世界だ」と言う、そういう言い方があるではないか(だから、ギャップはあるぞってこと)
ノーなんです
あなたがこの世界を作った、それは大きなあなたですか、それとも名前のついた小さなあなたですか、と言われたら、どう答えますか?
S
大我でしょ
さ
当然そう答えるんですよね
しかし、名前のついたあなただ、と答えても正解なんです
・・・この話を理解するためにはもっと深い話をしなければならないんです
つまり、あなたの世界に大我があるんです
・・・大我の中に大我があるんですか、それとも小我の世界の中に大我があるんですか?
S
うーん、大我の世界の中に小我がある
さ
ノーノーノー、違います
私が言っているのは、あなたが大我を認識するからこそ大我があるんじゃないですか、ということです
あなたがいなければ、大我自身が大我を認識することはないでしょ、と言ってるんです
S
まあまあまあそうかも・・・そうね
さ
つまり、小我の中に大我があるんです
だからこそ、大我がやったことは小我がやったということになりませんか、と言ってるんです
S
・・・なー、なるほど、うん
さ
はい、分からなくても結構ですが、ずっとこれはですね、Mさんが強く強く言ってるわけです
「現実創造とか言ってるけど、あんなの嘘だ。あんなの、少なくとも名前のついたこの私がやってるのではない」というわけですね。
「やったとしても、私の預かり知らない大きな大きな・・・、それを私というならば、大我、そういう言い方をしてもいいけれど、それがやったことなのにどうして私がやったというのだ?そんなのには到底納得できない」と言うんですね
ところが、ちょっと今Mさんは揺らいでしまったんですね
「小我でしか大我を認識できない?小我の中に大我がある?だから、小我がやった?おかしいことを言ってるようだけれども、なんとなくおかしくないのかもしれない」というような感じがしてきてしまったんですね
でも、そんなことはとりあえず置いときましょう
ところで、夢を見ているのは誰ですか、と聞くんです
あなた方が現実を作った・作らない、それは置いときましょう
夢を見ているのは誰ですか、と聞かれたら誰だと答えますか?
S
うーん・・・
さ
これは現実を作ったのは誰か、と聞いてるのと同じだ、と思いますか?
S
まあまあまあ・・・そうねえ
さ
もしそうだとするならば、私は「あなたが夢を見ているのではなく、魔性が夢を見ている」と言うんですね
そうすると、魔性が夢を見ている中のあなた、というのは誰のことですか
私があなたを夢見ているのではなく、あなたが私を夢見ているのでもなく、魔性があなたとして夢を見ているとするならば、魔性しかない、という言い方ができませんか
そして、魔性の正体とは何か、と聞かれたら何だと思いますか?
S
魔性は魔性、としか言いようがないんじゃない
さ
形のあるものは夢を見ることは出来なかった、と言った人がいるんです
形のないものしか夢を見ることが出来なかった、と言った人がいるんです
なぜ形のあるものは夢を見ることは出来なかった、ということを言うならば、まさしく形そのものが夢ではないから、なんです
つまり、形という考え方が夢の中にはないんです
言い方を変えると、形と形でないものの区別をつけられる存在感はいなかったんですね
そして、私達から言葉を返すならば、今持ってあなた方はどこに話を持っていけばいいのか分からない、つまり「このことさえも生が起こしている」という表現で終わらせるしかないほどに「世界は最初からなかったけれどもそこに生き生きとした物語はあった」という言い方で終わらせるしかないんですよ
なんの結論にもなってないと言ったんだけれども、とにかく限界の言い方をするならば、このような世界をあなた方が生と・・・言わば、これ以上定義のしようがないので、「生」と定義をするしかないので、生しかないという言い方をします
そして、だからこそ、あなた方はどうやってもこの安心した生からはみ出すことはないんですね
・・・ちょっと分からないんでしょうけども、とにかく、先程はMさんの中でしかこの甘えん坊の物語はなく、これも一つの夢でしかない、という言い方をしたにも関わらず、それでもなお、私達という世界が生、愛しかないというのが、どうしてもこれしか言い様がない、と言うんです
先程はこれも一つの夢なのか、と言いましたが・・・、愛が夢を見ている、と言ったら一番すっきりするんです
先程は魔性が夢を見ていると言いました、今度は愛が夢を見ているとするならば、もう少しなんとなく感じがつかめるんじゃないか、というんですね
愛が夢を見ている、その夢はたくさんある、しかしどうあがいても夢の中は愛で満たされているものしかないんですね
だからこそ、その世界を見ることが出来るならば、あなた達はこの世界の中に愛以外のものを見つけるのは不可能ですよ、ということを言ってるんですね
もしもあなたが愛でないものを見つけられたと仮定しましょう、それはどんなものですかと私が聞いた時に、なんと答えるでしょうか
例えば、こんな感じのものだと言ったとしましょう、しかし私達がそれを聞いた時に「それこそが愛だ」という聞き方しかできないんです
とすれば、あなたがどれだけ愛でないものを証明したとしても、私にとって見ればどこまで行っても愛として映らないので、その証明は何もないものとしてしか感じられないんですね
こんな話をして何になるんだと思いますか、何にもなるんですよ
というか、あなた方の本当のゴールだと私はここで終わりにしたいし、それでしかないと知っているんです
これ以上のものはないと知っているので、あなた方にとりあえず答えを先に提出しておきます
あなた方は答えを知った上でこれからの人生を生きていく方が楽しいですよ、といつものお決まりの結論のようなことになるんだけども、もうそろそろ本気でこれを実践して欲しいと言いたくなるんですね