スピと哲学シリーズ第三弾。
もう内容あるネタじゃないんだけど、触れておく価値のある話題と思うので書く。
ウィリアム・ジェームズとアンリ・ベルクソン。
この二人は哲学の分野でスーパー有名である・・・が、一方で心霊現象研究協会(The Society for Psychical Research略してSPR)の会長をやってるスピ関係での重要人物ということはいまいち有名でないように思われる。
哲学書とか自分で読むようになって、当然この二人のことは知っていたが、スピ関係の本を読むまで・・・というか、SPRに関して調べるようになるまで、彼らがそんなにスピにおける重要人物であるとか知らなかったよ。
WIKIを見てもさ、ウィリアム・ジェームズには超常現象についてこんな見解を出したってちょこっと書いてあるだけ、アンリ・ベルクソンに至っては何も書いてねえよ。
あれだなー、超常現象を本気で研究するとアカデミズムから排斥されるって奴だね。
で、ちょっと個別にこの二人について見てみよう。
まず、ウィリアム・ジェームズ。
初め私はこの人を「プラグマティズムていうアメリカ思想を打ち立てた立役者の一人ね、ふーん」位にしか思ってなかったが、本「幽霊を捕まえようとした科学者たち」ってのを読んで、「オー、こんな面白く、かっこいい奴だったとは!」ってなったよ。
こういうおもしろい部分に関してはアカデミズムが抹消するんで、倫理の教科書でも微塵も載ってないのだ。
やっぱスピ関係の本をわざわざ探して読まないと。
哲学史における主著の「プラグマティズム」には全然スピ要素がないが、「宗教的経験の諸相」はスピ人も読む価値があるかな。
ある人間には宗教的経験があって、それが人生を一変させるようなものなんだ、みたいな内容だった気がする。
次に、アンリ・ベルクソン。
「物質と記憶」ってのは本当に脳の中に記憶があるのかってのに一抹の批判をした本で、私の読解が正しければ、脳細胞がどこからでも壊れうるのに、どの失語症も普遍的に名詞→形容詞→動詞(順番が正しいかは分からん)みたいに順番に言葉を失っていくのはおかしい、というような内容、だから唯物論に対して挑戦的(というのが主著の中で特に顕著)。
「道徳と宗教のニ源泉」とか題名に宗教とか入ってるからね、スピ的。
まあ4つの主著、どれもが対唯物論的に書かれてる点で、スピ的な方向性だな。
ちなみに、この人はノーベル文学賞だったり(その割には結構だらだら段落分けもなく文章続いて、なかなか読みづらいし理解しにくいぞ)、妹が魔術結社「黄金の夜明け団」の頭領と結婚してたりして、まーなんだかすごい家族だよ。