さ「狂った世界を正す必要がない。」という発想について、さやかの話の筋とは離れるけれど、いくらかコメント。
エイブラハム曰く、「あなたは世の中を修正、修理しに生まれてきたのではありません」というのがあるんだよね。
で、エイブラハムが言ってるってことは、「世の中を修正、修理しよう」という発想で生きてると、引き寄せの法則的に運の悪い人生を送ることになるってこと。
理屈としては、「世の中を修正、修理しよう」といいう発想の人は、修正・修理すべき欠点にフォーカスしてて、フォーカスしたものが拡大するという原則に従ってダメになっていくって所かな。
まー、スピリチュアル界隈では、なんかやたらに世界が平和じゃないといけ好かない人達とか、カバールと倒そうとか、そういうのが結構根強く、まあまあ多数あるじゃん。
そういう人達は、運が悪くなるのを覚悟でやろうね。
で、ちょっとやそっとの困難が現れて、それに対して愚痴とか文句とか泣き言とか言ってると、ただでさえ運の悪い方向にあるのに、ますます運の悪い方向に行くからね。
愚痴とか文句とか泣き言とかってのも覚悟が足りないから出てくるのだと思う。
覚悟の上に覚悟して頑張ってね。
私は横から、そういう方々の達成したもの(達成できれば)の利益に与れれば幸い。
まあ、引き寄せの法則信じてないからって言われれば、それまでの話だけど。
以上が引き寄せ信者の見方。
追:
なんというかね、世直し大好きな方々はね、人にあーしろこーしろって要求が、他のスピ流派に比べて強いのではないかってのが私の見る所なんだよね。
カバールにあーなれこーなれってのはもちろん、普通の人々にも目覚めて行動しろよってメッセージが結構多い。
エイブラハム的な見方をすると、人間何を求めているかと言えば、気分が良くなることを求めている。
健康になりたい、気分が良くなるから。
お金が欲しい、気分が良くなるから。
過程はともかく最終目標は気分が良くなるためというわけ。
引き寄せから外れている人が他人にあーしろこーしろって要求するのも、結局自分の気分を良くするためなんだよね。
正義だなんだと大義名分を出した所で、他人を操作して自分の気分をよくしようってのよ。
そう考えると、本当にロクでもない。
引き寄せが浅ましいとか言う人もいるんだけど、他人に何も要求しないで、自分の心の持ち方を変えることで自分の気分をよくしようってのは中々尊くない?